「ランカイ屋東介の眼」木村東介著

美術商羽黒洞の店主であった木村東介が、生前に展覧会のカタログや雑誌に寄稿した文章を集めたものである。
ランカイ屋とは展覧会屋という意味で、木村が惚れ込んだ画家の展覧会を多く企画していることから称されたようだ。昔の美術商は何人かの金持ちコレクターを客に持つと成り立つという時代に生きており、その当時に値札を付けた展覧会での販売を行ったわけであり、革新的であった。その会場となる当時のデパートの美術部との関係がわかるような記述もある。

このような行動の背景に、美術は一部の権力者、金持ちだけのものではないという木村東介の信念があった。だから当時の画商が、有望な若手画家に、このような客層が好む絵を画かせるようなことにも反対していた。
このような木村東介が惚れ込んだ画家とは、長谷川利行、木村荘八、中村正義、斎藤真一、大島哲以に書道家の宮島詠士である。他にジャンルとして肉筆浮世絵、開国美術なども取り上げている。また岸田劉生、横山大観については思い出を記している。

上記の信念から、開業当初は柳宗悦の民芸に属するものを集めて売ることからはじめる。”奥州げてもの”と称していたようだ。この時代のエピソードとして、古いものを買うと近在に触れたら、古色を落として持参してきてがっかりしたような話を記している。

岸田劉生の項では、東介の郷里米沢出身の画家7人が七渉会を作っており、その世話役が東介で、劉生などが顧問だった関係で面識が出来たことを記している。当時は岸田が率いる草土社の展覧会などは美術界から無視されていたようで、それに反発する劉生の挨拶文を紹介している。今では日本最高の洋画画家だが。
横山大観は上野池の端に住居し、東介は湯島と近所。ある時売った大観の絵を、大観自身がへそを曲げて自分の絵ではないとして箱書きをしない事態になり、東介の知人で大観とも親しい大塚巧芸社社主の大塚稔の仲介で面会して、書いてもらったとの縁などが書かれている。

長谷川利行の絵を扱いはじめたのは東介自身が彼の絵に感動したことはもちろんだが、居合わせた式場隆三郎にも強く勧められたことが記されている。式場隆三郎は山下清を発掘した人物でもある。そして買い集め、昭和18年に日本橋髙島屋で展覧会。売れたのはたった2点。その後戦争が激しくなり、郷里の山形に絵を疎開させていた。幼児のような純粋無垢な絵として評価している。

木村荘八は江戸っ子らしい気風と絵で、庶民の声が聞こえるという。中村正義は日展に自作が師の中村岳稜から出展を止められると、日展を脱退し、不羈奔放な形と色の作品を発表した画家である。斎藤真一は瞽女を描いたシリーズで今では有名だが、当初は画題に瞽女は画商から厭がられた。大島哲以も既存の展覧会では賞をもらえていなかったが、素晴らしく、山本丘人も高く評価していた。ただ画題は売れるような綺麗なものではなく、縁起の悪いタイトルのものばかりだった。
要はこのような画家を主に取り扱った反骨の画商だったのだ。立派なものである。

なお肉筆浮世絵は浮世絵が版画で数多く出回るのに対して、肉筆浮世絵は少なく価値があがるはずだということ。開国美術とは江戸時代後期の西洋画の影響を受けた画家の作品である。川原慶賀、西川如見、司馬江漢などである。宮島詠士とは米沢に生まれ、勝海舟に学び、中国に渡り、書家の張廉卿に学び、帰国後に東京帝国大学文学部講師や自宅でも教え、人類平等の理念を持っていた。この書に惚れ込んでいる。

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