「怪しい戦国史」本郷和人 著

歴史学者にしてやや軽い文章を書き、TVにも出演している本郷氏の著作である。産経新聞に連載中の「本郷和人の日本史ナナメ読み」から加筆、修正したものである。だから読みやすいが、一話ごとにテーマが異なる。新聞連載とのことで文字数が限られているから、中には連続して二話にわたるものもある。
それら小話を大きく7つの章に分けているが、章と中味の関連が薄いものもあるが、なかなかに興味深い逸話も紹介されている。

これは本郷氏の独創ではないが、戦国当時の領地石高から、戦国武将の動員力を推計し、それから古くから伝わる物語の中の兵力を検証している。百石について3人~5人の兵役義務が通常だったようだ。だから1万石なら300~500人の動員兵力が妥当となる。これから川中島に動員された兵力などが検証できる。

また当時は大名に属する家臣が一家として自分の郎党を連れて戦いに出向く。すなわち自分は馬に乗っての騎乗の武士、郎党には鉄砲、槍などを持たせての参戦。だから、それを鉄砲部隊、槍部隊という兵種別の編成に引き離されるのは難しかったことになる。戦国大名自身が旗本として、それら要員を抱えれば兵種別部隊は可能となる。

秀吉は軍の行軍速度で山崎・天王山の戦い、賤ヶ岳の戦いで勝ってきたが、小牧長久手の戦いでは失敗した。
福島正則は暴れ者というだけのイメージは違うのではと提起している。秀吉も武辺一辺倒では評価しない武将である。親戚ということもあるが、それなりに能力が高かったのではないかと推測している。

最近、歴史学で言われはじめていることに対しても著者なりにコメントしている。関ヶ原後も大坂の陣までは、公儀は家康と秀頼の2つという説はとらない。また織田信長は普通の戦国大名の一人という最近の風潮も違うと述べている。

家康が信康の遺児の家(2児の内、姉は登久姫は小笠原秀政に、妹の熊姫は本多忠政に嫁がせる)を大事にした例から、信康を信長の命で殺したことに悲しみを感じていたと述べている。また自分の娘の婚家を大事にした事例(奥平家、池田家)などを紹介している。

徳川家康は文化面で各地から古書を集めたりして貢献している。著者が専門にした「吾妻鏡」も後北条家→黒田家→徳川家と考えられてきたが、家康が全国から集めたことがわかってきている。

藤堂高虎は家康に信頼された武将だが、その信頼度がわかるものとして上野東照宮にある三所大権現の絵に家康、天海、藤堂高虎が描かれているとのこと。

花押は実名の代わりに用いたもので、実名+花押というものはない。

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