藤ノ木古墳

法隆寺から西の方角にあって近くである。小高い丸い岡として綺麗に整備されているが、これが未盗掘だったとは信じられない。今は何度か発掘調査が行われ、その都度、整備されてきたのであろう。
江戸時代までは横にお寺(陵堂)があり、その建物が幕末に火災にあったという伝承を裏付けるものが発掘されたようだ。寺(陵堂)があっ為に古墳が境内に取り込まれていた為に盗掘を免れたようだ。

内部を見られるように古墳の入口は厳重な戸にガラスが嵌められているが、照明が故障しているようで真っ暗な闇しか見えない。ただ私が行った時は、太陽の加減で少し内部が見えた。

内部の様子や、発掘当時の遺品の状況は、近くの斑鳩文化財センターに出向くと詳しくわかる。来る人が少ないせいか、そこの案内の方に詳しく説明を受ける。
埋葬されていたのは、20代くらいの若い男と40代くらいの男の2体が、ほぼ同時期に一緒に埋葬されていたようだ。埋葬者は正式にはまだ特定されていないようだが、ほぼ同時期に亡くなったと言うことから蘇我馬子に殺害された穴穂部皇子(欽明天皇の皇子で、敏達天皇の弟)、その従兄弟の宅部皇子ではと推測されている。蘇我派=仏教導入派と物部派=仏教否定派の闘争が激しかった時代である。

藤ノ木古墳からの出土品そのものは別のところに保管されていて、このセンターではレプリカの展示である。レプリカと言っても、破損状況や変色状況まで再現されていて見事なものである。馬具の立派なものが出て、鞍の部材の文様には象が描かれている。随を経てインド、西アジアの影響である。

映像を上映する簡単なホールがあり、そこで私一人だが映像を上映してもらった。私の後には地元の幼稚園児が入って観ていた。
玄室への入口を模した通路があったり、家形棺のレプリカもあり、発掘当時の中の様子も再現されている。なお外にも赤く塗られた棺の模型があるが、これで狭い場所で壊さないように棺の蓋を開ける発掘方法などの準備を行ったと説明を受ける。

未盗掘であったが、凝灰岩の石棺であり、凝灰岩は水を通すために、棺の内部に水が溜まったこともあり、発掘時も少し水があったようである。凝灰岩だから溜まった水も下に抜けるわけだ。

棺の中にある靴も太刀も大きいものだった。埋葬者の身長はともに160㎝くらいで当時としては高い方だが、敢えて大きく見せたようだ。

なお、現在はここで「中宮寺跡を掘る」として特別展が開催されていて、この近くの古寺の屋根瓦が展観されていた。今の中宮寺とは別な場所に当初は中宮寺が建立されいたようで、その跡地を発掘した成果が展示されている。

古代史に関心がある人にはたまらない場所であろう。

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