「博物館でアジアの旅 LOVEアジア」、「VR刀剣」於東京国立博物館東洋館

国立博物館に出向いた時に、時々東洋館に出向くが、本館や平成館で観たあとに出向くので疲れてしまい、熱心には観ない。これは私だけでないようで観客は少ない。今回も東京都美術館でコートールド美術館展を観たあとに出向く。
東洋館にはアジア各国の美術品、出土品が展観されており、地下にはミュージアムシアターという上映施設があって別料金で美術品を詳しく映像で紹介している。今回は「VR刀剣」として現在本館の方で展示中の三日月宗近と岡田切吉房を紹介している。妻に観てもらうのにはいいかと考えて入るが、妻は東京都美術館、東洋館と歩き回った末であり、寝てしまいあまり観ていない。岡田切の華やかな刃文はよくわかる。また映りの状況もよくわかるが、地鉄までは無理である。三日月は号の由来となった「打ちのけ」はわかるが、それだけである。刃文、地鉄はわからない。もっとも姿はわかるが、この二振だけで姿の違いを述べても、初心者にはわからないだろう。

東洋館では、今回はアジア各国の美術品において男女の愛を画題に取り上げたものに焦点をあてて展観している。
地下1階にはインドネシアのもので、影絵人形などである。パンフレットには影絵人形の上演がある日が紹介されていたが、本来の劇で見る方が面白いだろう。
またインドの細密画があるが、中にはエロチックなものもある。日本の浮世絵における一分野と同じだと感じた。
この階にはカンボジアのクメールの彫刻も陳列されている。
1階は中国の大きな仏像などである。北魏などの石窟寺院にあったようなものである。
2階のインド・ガンダーラ地方やアフガニスタンなどの仏像は美男であり、やはり日本、中国のとは違う仏様である。イランの銀細工や陶磁器もあった。シルクロードを戦前に出向いた大谷探検隊の軌跡や持ちかえった品が展示されていたが、偉い使命感である。
3階は中国の古代の出土品(殷の銅器)や中国の唐三彩の枕などがある。殷の銅器は凄いものだと思う。根津美術館のコレクションに改めて思いがいく。
4階は中国の絵画や書である。書には新しい時代のものも並べられていた。絵画は今回は宋の山水画などは目に付かずに、風俗画で、扇面に描かれたものが多く陳列されていた。テーマが愛だから、そのような画になるのだろう。
5階は中国や朝鮮の陶磁器や玉を彫り込んだものなどである。中国や朝鮮の美術品では青磁などの陶磁器がやはり素晴らしい。

コートールド美術館展 於東京都美術館

コートールド美術館とはイギリスのロンドンにあり、レーヨン製造で富を築いたサミュエル・コートールドが蒐集した美術品を基本財産としている。
印象派とポスト・印象派の作品がメインのようで、今回の展示ではマネ、セザンヌ、ゴッホ、ルノアール、モネ、ピサロ、シスレー、スーラ、モディリアニ、ロートレック、ドガ、ゴーガン、ボナール、ロダンなどである。
この美術館は、美術史や保存修復に定評のあるコートールド美術研究所の展示施設という位置づけであり、絵画の技法、背景、画家の意図なども調べており、本展覧会でも、そのような視点で、展示作品を「1.画家の言葉から読み解く」「2.時代背景から読み解く」「3.素材・技法から読み解く」に分けて見所を解説するような展示をしている。

セザンヌでは「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」など風景画は5点の展示だが、”様々な緑の使い方が美しい”と思う。そしてその中に茶、オレンジ系で木々を入れたりしており、これは緑の補色関係にあって、お互いの色を引き立てていると気が付く。
セザンヌは他にも重要な作品が4点、展示されており、その中の「カード遊びをする人々」は同じような構図の作品が他にもあるが、解説にトランプ遊びをしている2人の座高が異常に高いとあったが、改めて見ると「成る程」と思う。
「パイプをくわえた男」も印象的である。「キューピッドの石膏像のある静物」はキュビズムに前駆する作品で興味深い。またセザンヌの手紙も展示してあった。

マネも重要な作品も含めて3点の展示がある。「フォリー・ベルジェールのバー」は鏡の前のバーカウンターに女性のウェイターが立ち、後ろの鏡に店内の様子などが画かれている。その鏡への映り方が不自然なのだが、X線か赤外線は忘れたが、それで分析して当初の絵、絵の位置と塗り直した後の関係などを分析している。当時のパリの風俗=やや退廃的な雰囲気を感じる。またマネという画家は人物を配する構図に新基軸を出した画家なのかなとも感じた。
「草上の昼食」はオルセー美術館所蔵品が有名だが、それと同じ構図の作品だ。森にピクニックという当時の風俗に、男女3人の内、女性が全裸という一種の退廃を感じる。オルセーの作品より小さいサイズで、筆が堅いような感じである。

ルノワールも彫刻も含めて6点ほどあり、中には風景画もあり珍しい。「桟敷席」はオペラの桟敷席の風景を、見上げる構図ではなく、逆に少し上から観るような構図で、着飾った女性と、オペラグラスで他の桟敷席を見る男性が描かれている。この女性がどのような人かわからないが娼婦のような感じもする。
「靴紐を結ぶ女」はいかにもルノアールらしい肌にやわらかい赤味を帯びた少女である。

ゴッホの「花咲く桃の木々」は日本の浮世絵風景画のように、遠景に富士山のような山、前面には桜を思わせる桃の花が咲き誇る果樹園を描いている。

ドガの「舞台上の二人の踊り子」における踊り子は、躍動感がある。画面の下部に何もない舞台を広く取っている構図が新鮮である。なおルノアールと同様にドガは彫刻も作っているが完成したのは少ないとある。オルセー美術館で踊り子の彫刻にバレエの衣装を着せているのがあったが、ルノアールにも彫刻があるように、この時代は画家と彫刻家の垣根も低かったのだろうか。

ロートレックの「ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口」はモデルの女性は当時のパリで有名な女性だったようだが、悪意を持って描いたようで、えらく歳をとっているような女性になり、顔も美しくない。縦に筆を使った跡が目立つ。

モディリアニの「裸婦」は、平面的な筆致で縦長のキャンパスに描かれたデフォルメされた裸体なのだが、顔と身体が違った筆致で面白い。

スーティンの「白いブラウスを着た若い女」はスーティンらしい女性の表情で、「また、この顔か」と思うのだが、私は好きだ。

ゴーガンも4点出品されていて、フランス時代の風景画からタヒチを描いた「ネヴァーモア」(寝そべる裸婦の眼が気になる)と「テ・レリオア」(床に座り込む人物2人の姿態が印象的)も展示されており、見応えがある。以前はゴーガンには関心が無かったが、最近は何か気になる画家である。

ルソーの小品「税関」は、ルソーの前職の職場を描いたただ1点の作品とのこと。

絵に付けられている額が、所蔵者コートールドの好みなのだろうが、私はあまり好きではない。
<コートールド美術館展の案内ページ>
https://courtauld.jp/contents.html

「美の猟犬 安宅コレクション余聞」伊藤郁太郎 著

この本は安宅産業で、安宅英一氏に仕え、安宅氏が美術品を蒐集する時に補佐していた著者が、安宅氏の思い出、人柄、蒐集態度、蒐集の裏話などを書いた本である。実際の安宅氏のコレクションである中国陶磁、朝鮮陶磁の名品の写真と解説もあり、そこは美しく楽しい。

「美の猟犬」とは安宅英一氏のことかと思い、違和感を感じていたが、著者の伊藤氏のことなのだろう。安宅英一氏という主人に忠実に仕え、主人が獲ろうとしている獲物(美術品)確保の手伝いをする。もちろん、優秀な猟犬である。

安宅英一氏は安宅産業の創業者安宅弥吉氏の長男で、後に社長にはならずに会長等を歴任した。
自身もピアノを学び、英国に派遣されていた時にも学んでいる。後には若手音楽家を支援し、東京芸大には安宅賞奨学資金を寄贈している。

武智鉄二と親交があり、武智が蒐集していた速水御舟の作品を一括購入する時に、会社の資金を会社で出すことを決めて、以降、安宅コレクションは充実していく。(だから安宅産業が倒産した時に、会長の美術品道楽に一因と批判される。しかし私は思う。現在、安宅の名前が尊敬の念を籠めて語られるのは、世界に冠たる安宅コレクションがあるからだ)

安宅コレクションの内、速水御舟の作品群は山種美術館に有償譲渡されて、山種美術館の目玉として保管・展示している。大元のコレクターが武智鉄二だったことは、この本で知った。
東洋陶磁の方は、住友銀行主導の住友グループ21社が大阪市に基金を寄付して、それで安宅コレクションを買い取り、また大阪市立東洋陶磁美術館を建設して保管・展示をしている。著者の伊藤氏は館長に就任している。住友銀行も評判の悪い面もあるが、このように立派なことをしている。

安宅氏の人柄で印象的なのは寡黙、おじぎが非常に丁寧で美しい、欲しい美術品を蒐集する為の熱意・執念である。また有力骨董店に自ら出向いて何気なく情報収集する態度である。愛好家に蒐集した品物を見せる時は、その展示の順序等まで気を配っていることである。また展覧会での展示の時は、見せる面等にも神経を使ったことが記されている。
ともかく、良い骨董商が付いて、欲しいものには金に糸目をつけずにという態度でないと名品は集まらない。

「図版・解説」にコレクションの名品がカラー写真とともに掲示されているが、写真だけ観ても素晴らしいものである。この30頁だけで楽しい。

猟犬こと伊藤氏の就職した時の様子、折に触れて安宅英一氏に試されるような様子が記されているが、私なら、とうてい勤まらない役割である。
日経新聞社長の圓城寺次郎氏のこと、それぞれの名品の蒐集エピソードなども興味深い。

「武士道 侍社会の文化と倫理」笠谷和比古 著

興味深く、読みやすく、内容が豊富な本である。武士道に関する本としては、新渡戸稲造の名著「Bushido」が有名だが、学会からは「武士道は明治になってから作られた造語である」とか、津田左右吉のように武士道賛美論に反対する意味も含めて、武士道とは裏切りと下克上の暴力的行動だと述べる向きもあった。
この本で著者は「武士道」という言葉が出ている江戸時代の書物から、武士道がどのように説かれていたのかを明らかにしている。
中世社会では「弓矢取る身の習い」「弓矢の道」と言われていた。「武士道」という言葉の初期の例として、加藤清正の『清正記』とか『武功雑記』に伊達政宗の言葉が紹介されている。そして『甲陽軍鑑』(小幡勘兵衛景憲が集大成)には武士道が頻出している。高坂昌信が述べたとされる言葉などにである。
また往時のキリスト教宣教師が編んだ『日葡辞書』には「武士道」は無いが「武道」の見出しはあり、そこに”武士の道”とある。なお「弓馬」の見出し語にも同じ意味がつけられている。

以下、近世前期(17世紀)の書物として『甲陽軍鑑』、『諸家評定』、『可笑記』、『武士道用鑑抄』、『七種宝納記』を取り上げ、内容を紹介している。
勇猛果敢に前線に出て敵と戦う振る舞いを勧め、未練を取るな、先祖からの家名を断絶するな、親兄弟の仇討ちをしろ、主君の御用に立つことだけでなく、次のような徳目も強調している。
悪質な嘘をつくな。「武士に二言はない」(正直)、自慢するな、暴慢の態度を取るな(謙虚)、武道具を愛好しないで不要な金銭を費やすな(節制)、おべっかを使うななどが尊重されている。それから証拠に基づいて述べることも強調している。
また少しは漢籍、芸事も学べと述べる本もある。

近世中期(18世紀)になると『葉隠』、『武道初心集』、『武学啓蒙』など、武士道をより体系的に論じた本がでる。
『葉隠』(山本常朝)で「死ぬことと見つけたり」は、そのような心構えを持つことで武道に自由を得て、落ち度無く家職を全うできると説く。死狂いの行為で、そこに分別など生じてくれば、主君に対する忠義も親に対する孝行もできないと言う。

また著者は、武士道の慣行としての「武家屋敷駆込慣行」を取り上げている。幕府、諸藩も禁じているのだが、武士道には存在し、18世紀中頃の『古老茶話』(柏崎永以)で「徳川家中は人を斬りたる駆込者があったり、かくまってくれとの駆け込み者があっても武士道をもってかくまうことのないのが大法で、一般の武家屋敷とは違う」と書いている。
『明良洪範』(真田増誉)にも徳川頼宣が当家は御三家だからとして、上記同様のことを述べている。
時の刑法である『公事方御定書』に頼まれて隠した者は追放とある。しかし徳川吉宗は武士が盗人を隠すのと違う事情のある場合は急度(きっと)叱申すの軽い刑にすべきと加筆している。徳川宗家も「武家屋敷駆込慣行」をある程度容認していたのだ。
その背景として、武士道には忠、義、勇の他に頼もしき意地も大事で、「頼む」と言われ、「頼まれたぞ」と応諾したら、守るべきということがあると書く。

それから「敵持ちたる者は随分討たれぬようにするが誉れなり、いか様の事なしても逃げるがよし(中略)随分逃げて返り討ちにするのはなお大手柄」とある。
武士道は仇討ちを奨励するが、それから逃れ、返り討ちにするような武士も認めている。すなわち徹底的なサバイバルの思想で、死ぬことだけを勧める思想ではないと説く。

近世後期(19世紀)では『尚武論』では中国の儒教の孝行よりも、主君への忠義が大事。真田家の当主が親とは別に徳川方についたりしても非難されないのはその為と儒学を批判している。
これは、忠の見返りに知行・俸禄をもらう。それが武士の家。忠を通せば家が持続できる。それが孝となる。儒教を中心とする中央集権国家が孝を第一にするのと違うとする。
その忠に関して「主君押込」があった。すなわち主君が悪いと、家臣が諫言し、それでも直らないと家臣団が主君押し込めるということである。

切腹とは自らの責任の重さを自覚し、その責任を回避することなく自ら敢然と引き受ける態度の表明。

礼儀は名誉の観念と不可分。無礼が名誉の毀損になり紛議につながるから礼儀が大切。

武士は事実尊重。証拠主義。空疎な観念論的議論を嫌う。事実を重視し、事実認定の根拠となる証拠を重んじる。イコール嘘を嫌う。儒教と大きく違う。
戦場は動くから、現実に即して対処が必要ということである。
ヨーロッパの騎士道は女性は常に保護の対象。日本は女性にも開かれていた。

そして、著者は武士道における信義・信用重視は一般庶民にも広がり、これが近世の発展に道をつけ、また幕末当時に、日本が植民地にならないのは①強い危機感を持って国防の必要性を早くから説く。オランダから世界情勢を仕入れていた。②欧米強勢の元は巨艦と大砲と現実を正しく認識し、それを学習しようとし、ペキサンス砲(ナポレオン戦争で開発。射程1500㍍におよぶ炸裂弾丸を放つ)の重要性を、幕府は江川英龍、諸藩では薩摩藩、佐賀藩、長州藩が認識・製造していた。そして薩摩は砲でイギリス軍鑑を撃退している。

相手の強さを証拠で確認し、負けじ魂を発揮して独立の気概で、良いものは良いと学習する態度が武士にはあった。
儒教的論理は大義名分論で、自国は中華で文明の中心、外国は夷狄で野蛮。だから中華が夷狄を教化して文明世界に広める。夷狄からは学ばないという国とは違っていた。

「みんなのミュシャ」展 於Bunkamuraザ・ミュージアム

ミュシャは以前に国立新美術館で開催された「ミュシャ展」を観ており、その時はアールヌーボーの旗手というミュシャのイメージを覆す「スラブ叙事詩」に驚いたことを思い出す。50歳時に故郷のチェコに戻り画いたという
(その時のブログ) https://mirakudokuraku.at.webry.info/201703/article_15.html

今回の展示は、ミュシャの描いた作品が時代を超えて、60~70年代のアメリカ若者文化や、現代の日本の漫画・ゲームに影響を与えていることを示す狙いもあるようだ。
もちろん、これらに影響を与えたのは重たい「スラブ叙事詩」のミュシャではなく、アールヌーボーの華やかで優雅な女性像のミュシャである。

これらのミュシャの作品は”Qの字の構図”になっていると解説されていたが、確かにQ字形の枠・背景に黄道12宮を描いたり、花を描いて装飾し、そのQの中に女優サラ・ベルナールのような華麗な女性像を描き、Qの下部に足の部分をを形造るように描いてQの字を完成させるという構図である。

装飾に使って描いた花などは日本や東洋の花模様の影響を受けていることを示す展示物もあった。

今回、鉛筆、木炭のデッサンが展示されていたが、強い線、優しい線、優雅な線、厳しい線、太い線、かすかな線と使い分けていて見事なデッサン力である。この展示の中で欲しいものは、これらのデッサンである。

各作品に女性の優雅で魅力的なポーズをとらせているが、それは当時生まれた写真で被写体の連続的な動きを撮り、それら写真の被写体における体の動きを描いていることがわかる展観であった。このようにして身体をくねらせた優美な女性像が生まれたのだ。

ミュシャは、本の挿絵画家として認められていき、当時の有名女優のサラ・ベルナールの舞台広告ポスターで脚光を浴びる。ある面で、売れる絵=人気が出るような絵を画いていたわけだ。だから晩年に「スラブ叙事詩」のような自分の心が画きたいような絵を画くようになったのだろうか。

ミュシャの影響は日本では与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙絵(藤島武二)などが嚆矢で、現代の漫画家、ゲーム作者に伝わっている。
欧米では60年代のレコードのジャケット絵に見られるとして、これらの作品が展示されていた。若い人にはこのような展示がいいのだろう。

京の食(いづ源、グランドビュー:ウェスティン都ホテル京都)

土曜日、石清水八幡宮から京阪電車で四条河原町に出て、四条通り界隈を歩く。外国人が多く、東京の銀座通りよりも多く感じる。歩道が狭い分だけ、そう感じるのだろうか(親戚から、これでも以前よりは少なくなったと聞く)。中には浴衣を着ているカップル、グループもいるが、女は女郎みたいに着崩れ、男はチンチクリンの丈の着物で、貸衣装屋さんももう少し指導をしたらどうだろうか。着物の良さ、美しさを損なっている。

四条の「ぎぼし」でお昆布を買い、そこの店主に鱧(はも)寿司が食べたいから、どこか美味しいところを紹介して欲しいと頼むと、近くならば「いづ源」が良いと紹介してくれて、電話をかけてもらう。
鱧の季節も終わりに近く、一本しかないが、これから調理すると30分以上かかると言われる。では鯖寿司にしようかと思い、出向く。
鯖寿司と穴子、鯛の3種の寿司を食べたが、昆布、鰹の出汁で炊いた酢飯を使っているとのことで、醤油無しでいただく。全体に甘めであり、後口に残る。
穴子は柔らかく、甘いが、しつこい甘さではなく美味しい。鯖は適度に脂がのり、歯ごたえのある肉厚で、上に昆布があるとは気が付かない。
鯛は実に柔らかく感じて驚く。蒸してあるのか、包丁を細かく入れている為なのかはわからない。
寿司、一つ一つの大きさが大きく、一口に食べるには大きく、箸で割るには中途半端である。
おかみさんから、昨今の京都の観光事情や、仏光寺さんの状況を教えていただく。

法事は蹴上の仏光寺本廟で執り行われた。仲の良かった従姉妹の一周忌だ。親戚で集まるのがこのような席ばかりになるのは寂しい。

法事後に、隣りのウェスティン都ホテル京都内のフランス料理の「グランドビュー」で精進上げとなる。
料理ではジャガイモの冷たいスープも美味しく、次の鯛のグリエという鯛の白身に焦げ目をつけたものが絶品であった。牛フィレのステーキに野菜をミルフィーユのように仕立てた付け合わせなど、野菜をうまく使っていると感じる。

ここは京都の街並みが一望でき、それで店名が「グランドビュー」なのであろう。お客さんからも聞かれるからだろうが、テーブル上にここからの眺望をパノラマ写真に撮り、場所の説明をつけた栞が置いてあった。

今回の京都では、食事は鯛の旨さを再認識させらたこと。もう一つは石清水八幡宮展望台からの京都遠望、ウェスティン都ホテル(東山)からの眺望と、京都を上から見る機会に恵まれたことである。
この席で従姉妹のご主人から、京都には知恩院の裏から東山将軍塚に登るルートや、清水寺の奥にある登山道などがいくつかあり、そこに登るハイキングも楽しいという話を聞く。

石清水八幡宮

土曜日は石清水八幡宮に出向く。行きはケーブルカーを使用したが、帰りは参道を歩いて降りる。下りだが、かなりきつい歩行であった。往事はこの参道がメインであり、参道沿いに坊の跡がいくつか残っていた。松花堂昭乗が住した跡もある。

展望台が素晴らしい。ここ男山は京都の南の入口に当たる場所に位置し、向かい側の山が天王山である。そして眼下に木津川、宇治川、桂川の3本の川が流れ、これら3本の川が淀川として合流して大阪湾に流れ込むわけだ。木津川は伊勢の鈴鹿山脈から、宇治川は上流が瀬田川で琵琶湖からと、京都の北の山が流れ出た水も鴨川となって宇治川に流れ込んでいる。そして桂川は保津川、大堰川として丹波亀岡の方の水を運んでいる。

往古は河川水運が大事な流通経路であり、この地の水運がいかに恵まれていたのかが理解できる。だからそこに淀城が建ち、伏見桃山城が立地していたのである。
もっとも3川が集まる場所であり、往古は巨椋池という巨大な池というか湖が存在していた。

陸路も大坂方面からは天王山と男山に挟まれたこの場所を通るしかなく、言い換えれば都の防御の要であり、豊臣秀吉と明智光秀の天王山の戦い、幕末には鳥羽伏見の戦いの地である。鳥羽伏見の戦いで、伏見やこの地は火災に巻き込まれる。

展望台からは、遠くに京都タワーが見えるが、それが京都市内である。そして北東の方角に2こぶの比叡山がある。すなわち都の鬼門を守った延暦寺があり、その対角線の裏鬼門に男山の石清水八幡宮があるということになる。

山頂に御社殿があり、全体が国宝である。徳川家光の修復である。日光東照宮の欄間彫刻と似ている。三ノ鳥居の近くに一ツ石というお百度参りの起点になる自然石が埋められている。そこから南総門に到る。門内が狭義の境内である。取り巻く築地塀は信長塀と言われ、織田信長の寄進で、塀に瓦が埋め込まれている。本殿の後ろには若宮社、貴船社、住吉社なども祭られている社殿がある。本殿は南総門からの参道とちょっと外した向きに建てられているのが面白い。

この本殿の回廊に架けられている灯籠が、加納夏雄の名作の小柄のモチーフである。
大樹も多く、境内の中にはカヤの大木があり、回廊の西側の外には楠木正成の楠という大樹があり、立派である。

麓には頓宮殿があり、隣りに高良神社がある。山を登るのが大変な人は、ここで参拝したのであろう。その横に巨大は石の五輪塔がある。鎌倉時代建立とされるが詳細はわからないようだ。また頓宮を抜けて一ノ鳥居の横に放生池があり、蓮が咲いていた。

清水寺 成就院 CONTACTつなぐ・むすぶ・世界のアート

昨日、法事で京都に出向いていたが、朝にホテルのTVで、標記の催し物が9/1~8までの間に清水寺で開催されているというニュースが流れた。京都で開催されている芸術に関する国際会議に連動した催事のようだ。
そこで展示されている芸術はともかくとして、普段は非公開の成就院が公開されていると聞いて、急遽、タクシーで出向く。
当日券は1800円で、成就院と経堂で催事は開催されている。また西門には門に提灯がぶら下がっているように加藤泉の作品が掲げられている。
初日のせいなのか、はじめての開催のせいなのかはわからないが、多くのアルバイトのスタッフがいたが、手際が悪く、腹が立つ。チケットの販売所、成就院のそれぞれで長蛇の列で、成就院の中での茶室の入室は8人までだからとして、成就院に入ってから40分後の整理券を渡される。この茶室では森村泰昌のゴッホの映画が上映され、宮沢賢治の「雨にも負けず」の手帖が展観されているとのことだが、法事の予定があり、キャンセルした。
経堂も、そこで40人程度が入室しての音楽ライブに映像というものがあるとのことだが、出向かなかった。目的は成就院の庭である。

成就院の庭は池に石を多く配置し、松や紅葉などの多くの木々を植えている庭園だが、山の斜面を利用して、加えて各植木(密集した枝葉を持つ)の上面をカットするような植栽技術で7~8段くらいの段差を演出していて面白い。遠景には建物は見えずに、高い樹木がそびえる空である。深山幽谷を意識したのかもしれない。月見に良さそうな庭である。
成就院の縁先から眺めるのに丁度良いような広さである。多くの木々の緑の色彩の階調が美しい。池の周り、池の中の石も様々に変化があり、コンパクトで整理・計算された良い庭である。自然を人工的に加工した、あるいは庭師の作意を自然も利用して表現したような庭である。

なお、縁側には三嶋りつ恵の「光の目」というガラスの玉を多く配置している。また床の間にミヒャエル・ボレマンスの墨で軸装された「くちなし(2)」という作品と、ルーシー・リーの「マンガン釉を施した台鉢」があり、横にマティスの「ばら色のドレスを着た婦人」の油彩が懸かっている。この絵は専門家に洗ってもらうと、もっと色彩が鮮明になるのではないか。

また棟方志功の襖絵「群鯉図」が襖のように室と室の間にセットされて展示されていたが、寺に合うような作品ではない。鴨居の上には猪熊弦一郎の「無題」(マティスのようなダンスの絵)が掲げてあった。

このように違和感も感じるように置くのが、演出した原田マハ氏の狙いであり、それは驚きも感じさせていいのだが、昔から美術品を置くべき所(床の間、襖絵、鴨居の上)にあるのはいいのだが、床に置いた机の上に河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、ロダンなどの作品が並べておいてあったり、小津安二郎の絵コンテ、手塚治虫のブッダの原画、川端康成の原稿に東山魁夷が挿絵を入れたものなどが廊下や室に置かれているのは成功とは言えない。照明も悪いし。

清水寺の舞台は改修中であり、それでも、こちらに入る時は別途料金が必要とのことである。京都の親戚も「清水はんは、ようけ取らはります」と言っていた。

昔を思い出して、清水寺から三年坂、八坂の塔、下河原、円山公園、知恩院、青蓮院から、法事のある蹴上の仏光寺まで歩く。