「武士道と日本型能力主義」笠谷和比古 著

興味深く、面白く参考になる知見に富んだ面白い本である。著者は武士道とは何か、そして武士道が江戸時代においてどのように具体的に運用されたかを明らかにする。そして身分制社会の中で工夫された足高の制などによる人材登用制度が日本的な年功序列制度につながり、欧米とは違った日本の経済発展を支えたことを明らかにしている。
そして、その制度を欧米の能力主義に比較して劣っているとして否定するような風潮に警告を発している。

まず「第1章 赤穂事件と武士道」で、赤穂事件時の藩士に①大石内蔵助らが主導した浅野家再興路線グループ(内匠頭ではなく浅野家に忠義)、②堀部安兵衛武庸や奥田のように、武士の一分として主君が非業の最期を遂げたのに、仇の人物がおめおめと生きているのを見過ごすのは世間に顔向けができないと考えるグループ(自己の名誉を守る為の主君への忠義)、③片岡、磯貝らの内匠頭側近のひたすらに主君内匠頭の無念を晴らしたいと考えるグループ(恋人に殉ずるような忠義)がいたとする。

著者は②のグループの持つ忠義を持つ武士は、主君の意向に唯々諾々と恭順していくような武士ではなく、武士個々人の強烈な自我意識、自立の精神を持って、忠義とは阿諛追従ではないとする武士道とする。

[2章 自立の思想としての武士道」で、あの『葉隠』にも諫言の重要性を説いていることを紹介して、事なかれ主義的な恭順を嫌悪する武士道を紹介している。
家康も若いときに、嫡男信康を失うことになった切っ掛けの才気煥発の大賀弥四郎(実は武田のスパイ)を信頼したことへの反省から武骨、無礼でも自己の本心を包み隠さず行動し、自己の命を惜しまないような、誰にでも直言する剛直の士を愛した。

「第3章 武家屋敷駆込慣行」、「4章 主君「押込」の慣行」の事例を紹介する。
そして「5章 日本型組織の源流としての「藩」」で、藩の軍事組織が平時に行政組織に転換することを示す。軍事組織においても、先備(さきそなえ)の旗頭の家老の現場判断が優先され、行政組織においても、実際の活動は中央統轄型ではなく、むしろ出先ごとの現場優先、現場判断型の自律分散的だったことを明らかにする。すなわち日本は現場の意見が実質的に採り上げられ、稟議で上が決裁していく組織であったことを示す。
明治維新においても、藩の下級役人が主導する。

「6章 名君の条件」で徳川吉宗の足高制を能力主義的昇進システムとして紹介し、結果として勘定奉行は軽輩からの登用が多いことを例示している。また御家人株の金銭による売買の事例も紹介して、これも人材登用につながったことを記している。

蜂須賀藩10代の重喜の改革が失敗した例、逆に上杉鷹山の改革成功例を紹介して、権力に対する歯止めを欠いたままに導入される能力主義や自由な人材抜擢は専制政治、恐怖政治に裏腹な関係であることを警告する。

上杉鷹山の政治などは日本型民主主義的だった。

「7章 能力主義のダイナミズム」では寛政の改革で厳格な試験制度も導入され、その結果、川路聖謨、井上清直、栗本鋤雲、勝海舟などの軽輩から幕末外交・政治を担った人材が出たことを立証していく。

「8章 封建制度の日欧比較」でヨーロッパの封建制から絶対主義王政の流れを考察し、君主に独自に任用される委任型官僚が必要になり、役人・行政官はそれぞれの分野における専門家を採用という西洋型能力主義が生まれた背景と説明する。

これに対して日本は封建領主が武士を行政官僚とし、現場で働く中から教育し、登用していく日本型年功序列が生まれ、そして現場をよく知る下級役人の案が稟議の結果採用されるとする。
だから実質は能力主義だったと指摘する。

「9章 日本型組織の過去、現在、未来」「10章 伝統文化とグローバリズム 新しい日本社会を求めて」で、江戸時代商家の人事制度も紹介し、日本型の組織の良さを再認識すべきと結んでいる。

立派な著作である。

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