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zoom RSS 「日本人の名前の歴史」 奥富敬之 著

<<   作成日時 : 2019/02/09 15:02   >>

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勉強になる本であった。皇親が皇籍離脱して臣籍に降下する時には必ず賜姓(すなわち姓名が与えられる)がある。皇室財政が豊かな時は臣籍降下が遅い(例えば5代目に降下)が、厳しいとすぐに降下。自分で喰っていけということだ。
四姓(源平藤橘)では、669年に大化の改新の功績で中臣から藤原姓を賜る。橘は県犬養氏の娘三千代が授かる。敏達天皇の四世美努王に嫁して皇子を産み、次ぎに藤原不比等に嫁して娘を産む。この娘が聖武天皇と結婚して光明皇后となる。こうして橘姓を賜う。本来は一代限りだったが奈良遷都の直前の708年に皇子の葛城王などが望み、彼は橘諸兄となる。

奈良時代には賜姓として、文室(ぶんや)、岡、清原、豊原、高階があった。桓武天皇の時は広根、長岡と賜姓があり、延暦24年には102人もの皇籍離脱をする。
これ以降の嵯峨天皇の時にも合計32人を臣籍降下。この時、全て源の姓。以降、各代の天皇が源をつくり二十一流となる。嵯峨天皇は三筆と言われた能書家で中国の古典の知識があり、『魏書』の世祖が臣籍降下させる時に、「卿と朕とは源を同じうす」という故事を知っていた可能性もある。江戸時代の知識人は水元の意としている。また中国式に名も一字名だった。

ちなみに嵯峨天皇は日本の名前を画期的に変化させた。源姓、童名、漢字二字の実名、系字の導入など中国式の取り入れた。系字は兄弟が実名のうちの一字を共有するものである。それが嵯峨上皇没後150年ほど経つと、通字にかわる。後三条天皇の頃である。院政期の前後から全ての家が通字を持つ。

平氏は四流あるが、高望王が朝敵をたいらげたから平という説もあるが違う。自分で喰っていけの臣籍降下が源氏であるのに対して、平氏は自分から願い出て臣籍降下という面がある。平氏は地方官でも役職に就いていた。一世、二世の皇孫の賜姓は源、三世は平ということもあるとの学説がある。著者は平安遷都があった時に因んでの平姓ではと提起している。

古代の姓(かばね)が元であり、それは臣、連、県主などそれは種類が多かった。そして氏集団の名前が氏名だった。それは地名に由来する葛城、巨勢、蘇我、尾張、紀などがあり、それぞれ一定の職能を担当していた。蘇我が財政と外交、中臣、忌部が神道、大伴、物部、久米が軍事などである。
また職業、技術に由来する氏名に服部、土師、弓削、犬飼、鳥養、錦織、卜部などがある。後に丈部が長谷に、久備が久米、膳が高橋などになる。

大宝元年(701)に大宝律令が制定されると姓に意味は無くなる。四姓の言葉は1200年の「官職秘抄」にある。印度のカースト制度、中国、朝鮮にも四姓の制度がある。日本は制度ではない。

姓名を賜姓する一方で、罪として姓名を取り上げたり、改姓させることもある。姓を奪う権限は、氏族の長にもある。事前に氏族が集まり、その決定を下す。
氏の長者の権能は氏神を祀り氏社、氏寺を管理。氏の学院を管理、氏人を放氏、また続氏する、氏爵を推挙する。

藤原は中臣で朝廷の神事、卜占の担当。まつりごと=政治を担当するようになる。京都に藤原が多くなり、区別するために住邸の所在地で呼び合う。この時期、男は妻の家に住む。だから父と子で称号は別。

源平合戦から鎌倉時代に12〜13世紀に社会全体が母系から父系になる。称号は個人のものでなく、一定の家のものになる。こうなった時に名字という。古代は名字と書き、江戸時代に苗字。名字は狂言、謡曲に残る。

武家は名字の地を一所懸命の地として守る。今昔物語に武家の名字がある。平良文が村岡五郎と名乗る。名字は便利であり、10世紀からすぐに普及。自分が領主であることを誇示する。

頼朝は源姓の制限をする。御門葉ノ制という。6人が任じられた。頼朝が国司を推挙する権限を持つ国を関東御知行国として、三河、駿河、武蔵、伊豆、相模、上総、信濃、越後、豊後などがある。この下に准門葉もあった。

源氏は紋が無く、白旗だけ。笹竜胆は村上源氏の諸流がつかう。三代で亡びたので家紋は成立しなかった。

名字には官職由来のものも多い。佐藤は佐渡守、衛門佐、兵衛佐、下野佐野荘由来などがある。左藤は佐藤の転訛とする説と左衛門尉由来説がある。

源平合戦頃には領地を持たない者も姓名を名乗るようになるが、名前だけの武者もいる。

非領主階級の人々は名字公称を自粛する風潮が室町時代にも続く。このうち許可無く名字を名乗るのが罪となる風潮がでる。同時に名誉、報償として名字を名乗らせることもおきる。献金で名字を与えることもあった。旗本領でも起きる。

明治に戸籍で名乗らすように指示を出すと、庶民はその裏を考えて、名字は無いとか届ける。明治5年の壬申戸籍である。翌年徴兵制が敷かれる。

実名は時代ごとに特徴がある。大和朝廷は男は彦、女は媛、姫である。郎女・郎子(いらつめ)がある。男性では動物の名前も多い。ただ実名敬避という風潮は呪術から生まれる。そこで通称。太郎、次郎などの仮名(けみょう)や律令官職名を名乗る。
麿、麻侶、麻呂も多い。のちに自分のことをまろという。下層階級の丸だが童名としても使われる。

烏帽子親の儀式で童名を捨てる。この時偏諱頂戴となる。幼名が皆、惣領は同じというのもあった。



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