「黒い雨」 井伏鱒二 著

蔵書の中から取りだして再読する。昔読んだ時は、この悲惨さに大きく心を動かされた。だから蔵書として処分しないでおいたのだが、再読すると、この間に様々な原爆体験記に目を通しているためか、それほどの衝撃はないが、それでも大変な惨劇を書いていることに違いはない。
著者はこの小説を書くにあたって、多くの原爆体験の手記を読んだと思う。それを一人の主人公の原爆体験記とその後の主人公一家の生活に織り込んで小説にしている。その分、ストーリーに膨らみを増すことになっている。

小説だから絵空言だと言えない重みがある。そして個人の手記ではないだけに、普遍的な重みも出ている。
読んでいくと、当時の広島市内・県内の地図が頭に入っていないと実感できないところもある。歩いた距離、地形による被害の軽重、鉄道路線などである。これが実感できると、より深い理解に至ると思う。

小説家の立場で考えてみれば、悲惨な実体験の手記以上のものに小説化するのも大変に難しいことだと思える。読み終えてから、こんなことを考えた。

いずれにしても、この原爆投下は人道上の罪だと思う。米軍の罪でもあるのだが、戦争というものが生じた時にはどこでも、どの国においても犯す可能性がある罪であり、被害を蒙る可能性があることだと思う。

米軍が言うところの戦争終結を早めたという理屈も、当時の軍を中心とする頑迷な指導者層(一億総玉砕などと唱えていた)がいた状況では一つの言い分とも思ってしまう。この小説でも引用している終戦の詔勅に「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し、惨害の及ぶところ、真に測るべからざるに至る」と明記しているのは、終戦の引き金の一つになったことを実証しているのだろう。

小説らしく、当時の自然の状況、生活の様子などの描写が、悲劇性を高めている。

なお、私も昭和50年代に広島の会社で、そこの人事部長が黒い雨が降ったこと、「水を下さい」と言いながら広島市内から被災者がやってきたことを話していただいたのを覚えている。



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