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zoom RSS 「堺の歴史」 朝尾直弘 栄原永遠男 仁木宏 小路田泰直 著

<<   作成日時 : 2018/11/24 11:47   >>

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この本は、共著であること、また名高い中世の堺だけでなく、古代の百舌鳥野の大古墳群のことや近代の与謝野晶子のことまで書いてあることから、読むのに骨が折れる本である。

一言でまとめると、堺は奈良・京の外港で対中国貿易・交渉の窓口となる都市であり、世界貿易の中での東アジアの終点(ターミナル)である。特に大内氏が瀬戸内海を支配するようになると畿内と中国との窓口として南海航路がポイントになる。この貿易の富と、南海航路からの鉄砲の伝来による鉄砲産業などで栄えたということである。

百舌鳥野は堺市北部の台地である。仁徳天皇、履中天皇、反正天皇の陵が建設されたと延喜式にある。この地には畿内勢力の大倉庫群があった。朝鮮との交通の拠点で住吉信仰の地である。遣唐使は後に難波津から出航することが多かった。

泉北丘陵では須恵器が5世紀の前半から焼かれていたことが判明する。またこの地の宗教活動としては「知識」(仏の功徳を願って仏事の為に財物や労力を提供)が盛んな地であった。7世紀に行基が生まれ、池や院が造られた。

中世に堺は大阪平野の交通のターミナルになった。院政時代は京から熊野に向かう所である。高野山へも、奈良への道もある。西からの物資は瀬戸内海の終点の堺に集まる。ここで陸路、川舟に積み替える。

堺荘は王家と関係の深いところであったので南北朝時代は南朝の力も強かった。それから山名氏が支配し、その後は大内氏が治める。大内氏が足利義満に反抗(応永の乱)した後に幕府に近い細川氏が治めるが、将軍の御料所も存在した。中央権力が影響を及ぼして守護支配が徹底しなかったのも後の堺の自治に関係する。なお対明貿易も大内氏と細川氏が争う。15世紀に瀬戸内海が大内氏の勢力圏となると、南海航路が発達。土佐の浦戸、下田、薩摩の山川、大隅の種子島。そして琉球への航路が発達する。

中世の堺には多くの寺院が林立して「泉南仏国」と呼ばれる。中国の泉州も仏教が盛んという。14世紀から16世紀に禅宗が勢力を伸ばす。14世紀は時宗、15〜16世紀には法華宗が堺商人の信仰を集める。京で天文法華の乱がおきた時は多くの寺が堺の末寺に移る。三好氏も法華宗を支援する。堺の農村に広がるのは一向宗。15世紀後半に勢い。

近郊、摂津、河内から人が集まり、備前、薩摩、豊前、淡路、阿波、紀伊などの出身者もいる。堺の環壕は有名だが、領主権力よりも徳政一揆に対抗するものではないか。
莫大な貿易利潤によって富が蓄積されたので文化も生まれる。連歌、茶の湯も盛んになる。
会合衆は36人ではなく10人である。

丹南鋳物師の伝統もある。中世末から近世にかけて鉄砲生産が盛んとなり、近世は刃物の生産で名高い。
堺では明からの輸入銭だけでなく、さかひ銭と称される銅銭が16世紀半ばからつくられていたようで、その言葉が大内氏掟書にあり、銭鋳型が多量に出土。開元通宝などとは別に無文銭の鋳型もある。

織豊政権では堺出身の町人官僚も生まれる。

大坂冬の陣、夏の陣で焼かれるが、その後立ち直り、周辺の新田開発も盛んになる。綿花とタバコも産となる。慶長8年に糸割付制度から貿易における特権を維持してきたが、鎖国、キリシタン禁制で、幕府、長崎の地位があがり、貿易利潤は減少していく。

そのかわり周辺農村は発展。綿作の普及と綿の加工業が盛んとなる。絹と鉄砲から、綿と金属加工の町にある。

維新後は与謝野晶子が生まれる。昭和にかけて堺は重工業化するが、その為に戦争中は空襲にあう。

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