「幕末会津藩 松平容保の慟哭」 鈴木荘一 著

知人の鈴木氏が次々と著述をすすめている。この本は幕末の会津藩の動向を会津藩に同情的に記述している。同情的と書いたが、鈴木氏は今の通説が歪められた薩長による歴史であり、ここで書かれたことが歴史の真実だと確信して書かれている。
私がはじめて知る北方領土に関する会津藩の関与(樺太警備)が詳しく述べられていて参考になる。寒さとビタミンCの欠乏に苦しめられ、コーヒーを薬として対応したとある。
なお会津藩は江戸湾の防備にもかり出されている。この後の京都守護職といい、財政的にも大変な苦労をしている。

鈴木氏は吉田松陰は国元で儒学、兵学を学び、江戸の高名な儒学者安積艮斎に学び、水戸学の会沢正志斎、蘭学の佐久間象山などの碩学も訪問して教えを乞うているが、理解できずに古くさい家業の儒学、国学、兵学に回帰してしまったと批判的である。
また松平春嶽についても、本来、京都の治安は彦根藩、そして越前藩が担当すべきなのに会津藩に押しつけたと批判的である。彦根藩の役割はこの通りなのだが、井伊直弼の件があり、京都守護職という役職は無理である。越前藩は私の認識では加賀前田家への備えが本来の役割と思うが、鈴木氏のような見方もあるのかもしれない。
また桂小五郎(木戸孝允)は会津に異常な憎しみを持っていたと批判的である。
こういう鈴木氏の史観が強く出ている分、興味深いのだが、この本を読む読者は、鈴木氏の史観にある程度共感して読まないと、読み進めなくなるのではと思う。

そして幕府の間宮林蔵、川路聖謨などの努力や会津藩をはじめ北方の守備についた諸藩が守った北方領土を、先の戦争で無くしたのは、幕末から続く薩長軍閥の無謀な戦いの結果であると述べている。吉田松陰の思想に「武備を修め、北海道を開墾し、カムチャッカ、オホーツク、沿海州、琉球を我が国の版図として、朝鮮、満州、台湾、ルソンを収め、進取の勢を示すべし」というのがあることを指摘している。これが山県有朋を通して昭和の軍隊に継承されたとする。
この点は紙幅が足りないためか、論理の飛躍があるが、その分、著者の思いが強く出ている。

松平容保が養子であるだけに藩祖の保科正之の方針に忠実であろうとしたこと、会津藩が頼りにし、また頼られた一橋慶喜が、自分勝手(もちろん慶喜なりの論理はあるのだろうが)に恭順・降伏した時勢に混乱し、この後の情勢判断を時勢に不利な方向に下した結果として、新兵器が充実して、勝ちに乗じた諸藩の軍勢が加勢した薩長軍の攻撃をまともに受けたことが会津藩の悲劇なのであろう。

この出版社の表題のつけ方には違和感を感じる、この本も「北方領土を守った男たちの最期」とある。会津藩は鈴木氏が記されたように北方領土警固に出たが、幕府や他の藩に比べて特に大きな役目を果たしたわけではなく、ネット右翼に買ってもらおうとの魂胆を感じる。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック