観楽読楽−観て楽しみ、読んで楽しむー

アクセスカウンタ

zoom RSS 「幕末狂乱 コレラがやって来た!」 高橋敏 著

<<   作成日時 : 2018/08/11 07:28   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

幕末に、コレラが伝染した時の騒ぎを、当時のヒトの日記などで明らかにしている本である。まず、三島宿に近い伊豆田方郡桑原村の森家に伝わる「森年代記」の記述を紹介しているが、幕末はなるほど大変な時代であることが理解できる。この中の記述から年代順に列挙すると次のようになる。地元の情報と江戸の情報がある。
1847年に善光寺大地震と大火(地元の人間が出向いており、その情報)
1852年に大水
1853年に江戸の大地震とペリー来航
1854年に東海地方に大地震と大津波
1856年に大風雨
1858年に大風雨、そして7月に江戸でコレラの流行、江戸の大火となる
1859年に江戸城の火事

大地震で損壊した三嶋大明神の修復は幕府の力でなく、15カ国の民間の寄進によることになる。
1860年にイギリス公使オールコックの富士登山の記事がある。また同年には桜田門外の変のことが正確に書かれている。1862年の生麦事件のこともキチンと把握されている。

コレラはインドのガンジス川流域の下ベンガル地域の風土病だったが、イギリスの植民地化で世界に広がる。1817年にイギリス軍兵士によって運ばれたのが1822年に西日本で流行したコレラである。江戸に来たのが1858年の流行である。

コレラは@被患してからの死亡率が高い、A発病から死に至るまでが迅速で即死病、コロリと恐れられる。B症状が異様で、こぶが出来て、痙攣を起こし、黒くひからびて死に至るという特徴がある。

異国から来た病気で怪獣が関与しているという認識が広がり、アメリカ狐、くだ狐、イギリス疫兎、先年モグラの仕業とも思われていた。

江戸での流行の状況は、村から江戸へ出ている奉公人の情報として、浅草の柳橋に奉公していた者が「朝茶前に葬式84つ通る」「神田三木丁裏長屋11軒にて18人死」などの具体的な報告を記述しているが、噂的な情報の32万人が死亡したとも書いている。
そして三嶋宿でも600人が死んだとの情報も記されている。

1862年には麻疹が流行し、その後に再度、コレラが流行し「江戸、大坂一日千人程死候」との情報を書いている。

コレラ流行に対して、唯念名号碑(唯念という行者が南無阿弥陀仏の名号を自然石に刻ませたもの)を村境に建立したり、三嶋大明神に参詣して、神仏に頼っている。

富士郡大宮町の枡弥弥兵衛の「袖日記」にもコレラの流行が記され、韮山の江川家の侍医から薬の情報が書かれ、アメリカ狐の仕業とのことだから、三峯山の御神体の狼を借りる信仰が燃え上がったことが書かれている。

駿河駿東郡下香貫村、深良村は、全国の神の総元締めの吉田神社を祀ることも村総出で費用を調達して実施している状況が書かれている。吉田神社側は商売気もあり、祈祷料に差を付け、両村ともに7両2分の一番高い祈祷を依頼している。

また村人総出で狐狩りをしたことも紹介されている。

江戸での惨状については金屯道人の「項痢記」を紹介し、葬礼の棺が昼夜絶えることなく、数万の寺々は門前市をなす状況で、焼き場の棺所が山をなした状況が書かれている。
ヤツデの葉、ニンニクの黒焼き、みもすそ川の歌がコレラ除けのおまじない的な3種の神器で、各家に吊していたようだ。

コレラの死者は8月だけで12492人という町奉行の統計があるが、あくまで町人だけである。他に28000人が死んだとの情報もある。
ただ江戸っ子であり、こういう悲劇も狂歌などにしていることも書かれている。

著者はコレラ除けで鉄砲を放ったり、祭礼をして神を祭る状況も紹介して、天変地異と疫病にさんざん苦しめられた怨みを吹き飛ばす祝祭のきっかけを心待ちするようになり、それが幕末の「ええじゃないか」の騒動、維新の廃仏毀釈に繋がったと書いている。





テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「幕末狂乱 コレラがやって来た!」 高橋敏 著 観楽読楽−観て楽しみ、読んで楽しむー/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる