「幕末明治 不平士族ものがたり」 野口武彦 著

明治になってからの不平士族の事例を8つの章で取り上げている。幕末の薩長などの官軍の志士は攘夷を旗印に政権を奪うが、維新政府になったとたんに、文明開化政策を採用して、果ては鹿鳴館という軽薄な欧化主義となる。私が当時に生きていても、おかしいと思う。不平士族が生まれるのが当然だろう。

「国事犯の誕生」という章がある。国事犯とは今で言うテロリストであるが、当時の政権担当者にも攘夷を裏切った後ろめたさがあるから、こう呼んだのではなかろうか。明治10年代の自由民権運動の弾圧の時にこの言葉を使おうとしたようだが、政権担当者はこの言葉に伴う名誉感、志士的ニュアンスを嫌ったようだ。
この章では、公家の外山光輔、愛宕通旭(ともに東京奠都に反対)や秋田藩の初岡敬次(欧化主義に反対、政府首脳を奸物視)、熊本藩の河上彦斎(肥後の人斬り、天領の日田での反政府運動)など死刑になっている人物の事績を簡単に紹介している。

「酒乱の志士」の章とは北越草莽の志士長谷川鉄之進の話である。あまりに酒乱が酷いために、仲間外れにされ、大村益次郎暗殺事件でも蚊帳の外に置かれた人物である。同郷の志士・本間精一郎の後釜になり、長州でも働くが、草莽の志士は赤報隊もそうだが、民衆の為にとの旗印は、用が済んだら抹殺される運命を持っていると思う。

「思案橋事件」は会津藩の武士で苦難の道を辿る永岡久茂を中心とした物語である。明治9年の萩の乱に呼応しようとして、隅田川から舟で千葉に出向いて同士を集めようとしたが、舟が出る思案橋で、警官に誰何されて、結局はここで戦い、企てが失敗する。会津の怨念を晴らそうとした不平士族である。戦った警視庁の寺本警部補は津藩の出身であり、士族の就職先であった警視庁の巡査の実態も書いている。

「雨の海棠」とは米沢藩士の雲井龍雄の詩作の一つの題名であるが、雲井の生涯を記している。天性の詩人であり、女性のような体躯を持つということから、著者は三島由紀夫と似ていると書いている。米沢藩が薩長側に裏切ったために、雲井は藩を離れて討薩に立ち、維新後も反政府となる。著者は雲井の詩作を紹介しながら、時流にあわなかった人物を描いている。死に際は立派だったそうだ。

「雲の梯子」とは吉田松陰と野山獄で一緒だった偏屈・狷介な老学者の富永有隣の物語である。明治33年に80歳で逝去する。栄達した長州人のことを蔑むような態度で一生、不平の生涯を送った人物である。維新の意地の悪い観察者であったとも書いている。なお、ここで吉田松陰の思想も紹介している。

「骸骨を乞う」とは老臣が辞職を願い出るという意味とのこと。大谷木醇堂という儒学の成績が良かった旧幕臣が維新後に外務省に奉職するが鬱々と暮らしている状況を「醇堂放言」という史料を元に書いている。林大学頭の一族や外務省の同僚、上司のことなどを不平を抱きながら一生を送った人物である。

「天の浮橋」とは熊本神風連の話である。この乱の特異性は、神道の一つの新興宗教のような国粋主義を信じた武士たちの行動であったことにある。
当時の熊本は、藩校時習館で江戸時代以来の儒学を継承した学校党、横井小楠の影響を受けた実学党、そられに対立する肥後勤皇党(この中が新政府に協力する進歩派と、国体の保持、国粋の保存に固執する保守派に分化、神風連の敬神党はさらに保守派から分かれた派)に分かれていた。
敬神党は、廃刀令をきっかけにして乱をおこす。行動の都度、神託を問うスタイルであり、やりきれない思いを持つ。
乱に参加して無罪となった森脇常雄の思い出が記されていて救われる。彼が夢うつつの状態で、神風連の諸氏の魂が、この神道の祖林桜園が予言したように天の浮橋で昇っていくような幻想を体験したという内容である。

「城山の軍楽隊」では西南戦争における一つの史料を紹介して、西郷最後の一つの説を紹介している。川越藩士だった喜多平四郎が警視庁に入り、薩南戦争に従軍する。ある戦闘で捕虜となり、城山での最後の時まで間近に経験する。この時の思い出の史料であり、正史とされているのと違う話もある。
薩軍も最後の段階では西郷だけの助命を願って、他は切腹して降伏という話合いがもたれていたようだ。これに対して桐野利秋は反対し、西郷の最後は別府晋介ではなく、桐野が覚悟を促し、射殺したとか、首を斬ったとかの話があるようだ。喜多の記述はここまでのことは書いていない。




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