「戦国武将の明暗」 本郷和人 著

この本も以前に読んだ「戦国夜話」(http://mirakudokuraku.at.webry.info/201806/article_12.html)と同様に、著者が「週刊新潮」に連載した「戦国武将のROE」をまとめたものである。だから気軽に読める。ただ本職の歴史学者であり、裏付けのあることを書かれている。

関ヶ原の戦いについて、小早川は裏切ったと言うより、当初から東軍の一員と両軍の者達に認識されており、小早川軍が関ヶ原の松尾山に入ったから、大垣城で守ろうとした石田三成が、松尾山の小早川と赤坂の家康に挟み撃ちされては危ないと考え、城を出たという中井均氏の説を紹介している。急に決戦が決まったから、家康は秀忠軍の到着を待たずに決戦したと言うわけである。

秀吉は各家のNo2の武将をたらしこみ直臣化をしている。石川数正、直江兼続、小早川隆景、鍋島直茂、伊集院忠棟などである。この本には書いていないが細川家の松井も直臣になることを誘われたという記述を読んだことがある。
島津は関ヶ原、江戸初期まで国元における伊集院対策に忙殺され、中央の戦いへの出兵に齟齬をきたした。

戦国武将は縁起をかついで地名を変更している。家康も曳馬は馬を引く=退却で縁起が悪いとして浜松に代えている。江戸は家康の旗印の「厭離穢土、欣求浄土」の”穢土”と音の共通性があったのではないか。

戦国武将は織田信長を除いて、日本統一という考えはもたず、畿内と奥州、関東、九州は別で群雄割拠が当たり前と思っていたとあるが、私もそう思う。

黒田官兵衛、直江兼続、島津義弘は当時では珍しく奥さん一人。

戦国時代の一般的な女性の体験記として「おあむ物語」(石田三成につかえた山田去暦の娘の体験談)、「おきく物語」(浅井家に縁のある父・山口茂左衛門の娘で大坂城から脱出する物語)を紹介して、その苛酷な体験を抜き書きしている。

家康の論功行賞には、養女も含めて自分の娘との縁なども大きな要素であった。加藤清正、池田輝政などがそうであるとの記述はなるほどと思った。

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