佐渡旅行④「宿根木の集落」

宿根木とは佐渡島の南端の小木の近くの集落である。江戸期には回船業の集落として、船大工も多くいて栄えたようだ。
近くに千石船の実物大の模型が展示してある小木民俗博物館があるが、今回は出向いていない。

千葉の鴨川もそうであるが、漁師町であり、狭い敷地に、家が密集し、海から集落が上に広がっているが、そこに至る通路は実に狭い。世捨小路なる通路もある。狭いが石畳の道である。これらの石や水路上の橋は千石船が空き荷になった時に、船のバランスを取るために、尾道あたりで買い入れた石材を利用したようだ。

海から集落の入口にかけて、細い竹垣(葦簀ではないと思うが)が広い範囲で立てかけてある。風除けなのであろうか。

敷地も三角形などの制約もあり、その敷地に合わせて、船の構造物のような三角家があり、吉永小百合が観光宣伝ポスター用に立ったとかいうので観光客の人気になっていた。

今も人が住んでいるところを、観光客が徘徊するから迷惑なことだろう。いくつかの民家が公開されていて、私たちは「清九郎」という屋号の、江戸後期から明治に財をなした廻船問屋の船主の屋敷を拝観する。
中にはケヤキの太い材料が大黒柱だけでなく、梁にも使われていて豪勢なものである。仏間も造りつけでケヤキの立派な仏壇であった。外観からは想像ができない。

吹き抜けの居間の上部の障子戸の開閉用に、船の帆を上げる要領を応用した紐と滑車で動かす仕組みもあり、面白かった。

奥の庭は狭いながら池もあり、奥には岩を刳りぬいた洞穴(自然のものかもしれない)が倉庫として使用されていた。

家々の普請においては、船大工技術が使われているようで、木の看板のような軒下飾りなどが残されている。佐渡の杉板が外壁にも使われていた。(ちなみに佐渡奥地には巨大な杉がある)

称光寺にはお墓も隣接しているが、お墓の石碑の頭部は意匠が凝らしてある。また鎌倉のお寺のように岩を刳りぬいたところに仏像なども並んでいた。

集落の家々の屋根は真っ黒で艶のある能登瓦の家(裕福な家)と、杉板に石を乗せた屋根の家がある。石をただ乗せるのではなく、抑え板から釘を出し、石にも釘孔のように穴を穿ち、そこを嵌めるようにして滑落を防いでいる。

ここから、柴田収蔵という偉人(日本人としてはじめて世界地図を作成した)が出ている。なお、両津には北一輝の生家(看板のみで別姓の人が住んでおられる)があり、驚いた。
ちなみに、佐渡には順徳上皇(承久の乱)、日蓮聖人、日野資朝(正中の変)、世阿弥が流されているが、その史跡には出向いていない。

前の浜ではたらい船の観光があったが、30分ほど時間を要するとのことであり、乗ってはいない。

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