「真説 日本古代史」 武光誠 著

この著者の本は読みやすい。著者が考えている日本の古代史(石器時代から平将門の乱まで)の通説に反する説として20話を取り上げて記述している。

旧石器時代の遺跡は藤村新一がねつ造して、それを否定すると、5万年前の上野出島、大平、江合川12、13層しか残らない。しかし、だからと言って日本に旧人はいなかったとも結論できないとする。大分県日出町の早水台遺跡の石器は12年前ではと言われるが、本来の場所とは移動している可能性もある。
豊橋市の4から5万年前の牛川人といわれる人骨も見つかっている。

日本神話は出雲の大国主命が主役で、出雲には2世紀に神政国家があった。出雲市荒神谷遺跡から2世紀半ばの銅剣が358本まとまって出土。4列にまとめられ、各列は意宇郡、島根郡、出雲郡、神門郡の古代神社の数に対応する。すなわち神無月の話と対応する。4世紀に出雲氏が大和朝廷に従い、神門氏は反抗する。

卑弥呼は魏によって暗殺された可能性が高い。魏の司馬仲達が親魏倭王を与え、彼は東方を重視した。魏の曹真、曹爽は西方諸国を重視した。大して大きくない邪馬台国を重視した自分の失策を隠すために249年に暗殺を命じた。

大和の纏向遺跡を開いたのは吉備からの移住者。これに海人族などが協力して大和朝廷の礎を築いた。
好太王の碑文は戦前の軍部のでっち上げではない。高句麗の好太王の自慢話的な碑文であり、それが日本史に直接に影響を与えるもおではない。

日本の古代文化は百済の影響を指摘されるが、高句麗の影響の方が大きい。古墳壁画、金工芸術などである。
任那の日本府というようなものはなかった。日本からの使者を倭宰と百済は呼んだが、それを日本書紀では日本府と書き換えた。

蘇我氏は渡来人の影響を強く受けた氏族である。そして飛鳥の文化を作る。その蘇我氏を滅ぼした黒幕が秦氏で欽明天皇が重く用いる。大化の改新の黒幕も秦氏である。秦氏は後に平安遷都にも大きな役割をはたす。

藤原鎌足は天智天皇の皇胤である。黒子に徹する。天武天皇は天智天皇の弟ではない。天智天皇の母は舒明天皇の弟の娘。はじめに高向王の妻になって漢王(あやのみこ)を生む。この人物が天武天皇と推測している。

藤原氏は長屋王(高市皇子の子で俊才。家柄的にも皇位につける可能性があった)を追い落としたことをはじめとして権力基盤を固めていった。
弓削道鏡も皇胤である。天智天皇の子の施基皇子の子である。反藤原勢力に押されたが失脚。
在原業平は藤原氏との権力争いに敗れた皇族系の氏族の一人である。色好みは藤原氏によって作られた話である。

菅原道真は古代儒教政治を目指した。9世紀半ばまでは地方官は善政につとめたが、藤原政権下では貴族層が国政への意欲を失う。民衆も反政府になり、彼を祀るようになる。

平将門は当時の関東の人の気分を代表して関東独立を目指す。関東は奈良時代までは後進地域であったが、上層農民が生まれてくる。西国ではこのような農民は6世紀に生まれ、国司はその上層農民を国衙の方に引き込む形で政治がなされた。関東では大和朝廷の支配下の国造の系譜をひく郡司層の勢力が強く、関東の国司は郡司を上手に統率することで成り立つ。そして郡司は郡内の農民に専制的に臨む。
加えて関東における製鉄の普及と馬の交易の広まりが上層農民の勢力を向上させる。そして関東の上層農民は鉄製の農具を手に入れ、鉄製武器と馬で武装した。そして横のつながりを持つようになる。、

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