「戦国夜話」 本郷和人 著

これは歴史学者の本郷氏が、週刊新潮に連載した「戦国武将のROE」というコラムを新書にまとめ直した本である。だから肩のこらない内容で読みやすい。その分、読む方も気楽に読み飛ばしてしまうが。

「第1章 細川の巻」、「第2章 前田の巻」、「第3章 上杉の巻」に別れているが、その中も72話に小分けされている。名前の知られていない武将の逸話や、その人物の意外な係累などが書かれていてなるほどと思うこともある。

「第1章 細川の巻」では関ヶ原の時に田辺城を包囲した西軍と東軍の細川幽斎との戦いがおこり、幽斎の持つ古今伝授が途絶えるのを恐れた朝廷が斡旋して開城となる。この時の攻城軍の人脈、戦後の処遇などから、出来レース的なことではなかったかと書いている。
細川三斎の性格のねっちこいところもあぶり出している。三斎とか黒田長政などは仕えにくい主君だろうと想像できる。大坂の陣では家中の米田是季をスパイとして送り込んでいたような形跡を立証している。このようなことは毛利家でもみられたようだが、どこの大名でも実施していたのだろう。

「第2章 前田の巻」では、利家夫人のまつにつながる人脈が大坂方に心を寄せる家臣ばかりであり、実はまつ夫人も豊臣方で、当時の能登領主の利政も大坂方だったことを書いている。徳川方は前田利長である。このような家中分裂の中であり、関ヶ原の時に前田軍は東軍につきながら途中で進撃をやめて加賀に戻ったのではないかと推論している。
その後、慶長7年に重臣の横山長知が重臣の太田長知を上意討ちする。この理由は、豊臣派である太田派の篠原、村井、奥村、中川と、徳川派である横山側の長、冨田、不破、高山右近の争いである。まつ夫人の係累は豊臣派の太田側に縁のある人物が多い。
そして利長は徳川方を鮮明にするために、弟の利常(秀忠の娘をもらう)に家督を譲り、越中に隠居した。なお越中の隠居城の高岡城(のちに破棄)の規模は相当に大きいとのこと。親徳川と言っても「いざ」と言う時に備えた用にも見える。

「第3章 上杉の巻」では本多政重を直江兼続が養子にしたが、このあたりのことを詳しく分析している。なお本多政重は前田家に3万石で仕官しており、その退任後に招聘したことになる。彼は後に再度前田家に戻る。この時も直江家、上杉家との関係は良好だったようである。本多政重の上杉から前田への移籍時には、上杉家の侍の多くが前田家に移籍している。すなわちリストラされた上杉家武士の受け入れ先になったのである。

途中に、この3家以外の歴史上の逸話も入れている。その中で朝倉宗滴の『朝倉宗滴話記』に触れているが、この中で人物評価をしている。そこでは国持ち、人使いの上手の人物として、今川義元、武田信玄、三好長慶、上杉謙信、毛利元就、織田信長を上げるなど的確だが、それに正木大膳亮をあげている。最後の正木とは里見家の家臣で正木時茂。著者は当時、北条と敵対していた里見家の大きさに触れて、家康も江戸の近くでの里見家を左遷、改易したのではと推測している。


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