「戦国武将の選択」 本郷和人 著

この本は歴史学者の本郷氏が産経新聞に「本郷和人の日本史ナナメ読み」として連載したものが基本となっており、読みやすい。大きく11章に分けていて興味深い。
「1.あの兵力差で信長は本当に桶狭間を戦ったか」では今川の目的は上洛ではなく尾張に領地の足がかりをつけるが本当で、兵力的にも通説のような10倍ということはなく、当時の石高は、今川が70万石に対して尾張が57万石の差。だから兵力差もこのくらいではないかと推察。

「2.天下統一という新概念はどう生まれたか」では信長以前の畿内の覇者三好長慶との違いは、三好が国人領主ー地侍ー本百姓ー脇百姓ー下人という構成の上部である国人領主どまりの把握に対して、信長は、もうひとつ下の地侍クラスまで支配しており、国人領主を地域から分離できたこととしているのがなるほどと思う。

「3.部下・光秀が本能寺を決めた出来事」では中世は取次役が大事で鎌倉時代は鎌倉と京都は関東申次の西園寺家、織田家の申次では四国の長宗我部に対しては明智氏だった。そこに四国出兵がある。明智の家老の齋藤利三の妹が元親の妻。利三は美濃齋藤家の嫡流で家柄は高い。そんなことで四国出兵でメンツをつぶされての裏切りの可能性もある。

「4.戦国最強の武将は誰か」では、少ない兵で多勢を3度もやぶった武将として、筆者は毛利元就をあげている。

「5.武将たちが残した人生哲学」では江戸時代以前は儒教的な教えではなく、主人と家来の人間的結びつきが大事。ただ親殺しは大罪で、斎藤義龍は道三を殺したから、母方の一色を名乗ったとする。鎌倉時代も父権は強かった。

「6.執権北条氏、粛清政治の手法」では北条時政の陰険な手法での政敵つぶしや、義時が父時政(後妻の親族を優遇)を追放したが、父を追放という罪を隠すために、滅ぼした畠山重忠を吾妻鏡で褒め、そんな畠山を誅した時政だから追放して当然という論理で義時を讃える。

「7.大義名分がない中世武士の感覚」の中では、歴史史料は誰が結果として得をしたかで読むことが重要と書いている。
中世武士は力が全てという行動である。「昔は昔、今は今、恩こそ主よ」の言葉で表される。

「8.利休が強欲だから秀吉に殺されたのか」では、そういうこともあったが、利休は美の値付け人という位置づけだから、強欲という評ではわりきれないところがある。

「9.利休七哲と徳川大奥」では、利休七哲の中心はキリシタン武士の高山右近だろうと推察。蒲生氏郷は何でも出来た武将。牧村利貞は稲葉重通の子。重通は稲葉一徹の子。重通は妹の子のお福を養女とする。すなわち春日局である。牧村利貞の娘に「おなあ」がいる。前田利長の養女として分家に嫁ぐが、高山右近と親交が深く離縁される。その後に蒲生家の町野幸和と再婚。のちに春日局からスカウトされ、孫のお振を家光の側室とする。

「10.武将の名から人間関係が見える」では「かばね」は室町時代に形骸化する。武士の名は一字は通字(代々が共有する字)と偏き(上位の人からもらう)からなる。室町時代は拝領した字は下に使わない。家康は新田一門が源氏であるのも知らなかった。

「11.家康と信康切腹と長篠」では信康の母=家康の正室の築山殿は義元の養女で、実父は関口親永だが、井伊家の資料に、井伊直平の娘で義元の側室になり、やがて関口氏の妻となって築山殿を生んだというものがある。桶狭間の戦い後に、松平元康が今川から離れるが、この時に築山殿と信康と妹は無事だった。これは築山殿に今川の血が入っていた可能性も考えられる。

築山殿と信康は武田との内応を疑われて殺される。諸説が出ているが、信長に十分な説明をしなかった酒井家への処遇(冷遇される)、信康の妻(信長の娘)の徳姫が後々徳川家から優遇されていないから、やはり徳姫が信長に告げ口、その申し開きを十分に酒井忠次(長篠の戦いでも戦功が大きい)ができなかったことを残念に思っていたと結論づけている。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック