「戦国時代の終焉 「北条の夢」と秀吉の天下統一」齋藤慎一著

関東では永禄年間には上杉謙信がしばしば関東平野に攻め込み、北条氏と戦っていた。佐竹氏、宇都宮氏、小山氏などが上杉方であった。しかし謙信は天正2年を最後に越山をしなくなる。その後、北条が関宿(簗田氏)を攻め、小山氏の祇園城を攻略し、北条氏照が入城するなど勢力を広げていく。

北条氏は関東統一を夢として(織田信長に意を通じ、縁戚となって関八州の国主になりたい)、関東の諸豪族と戦い、残すは北関東の豪族(宇都宮氏、由良氏、佐野氏、結城氏、長尾氏、皆川氏、真田氏など)と常陸の豪族(佐竹氏)となっていたわけである。

関東の豪族は、血縁関係を結んでおり、結城晴朝は小山秀綱の弟であり、金山城の由良成繁の子が由良国繁と、足利を基盤とした長尾家(山内上杉家の重臣)を継いだ長尾顕長である。また佐竹義重の甥が宇都宮国綱である。

佐野氏と佐竹氏が由良、長尾を攻める。武田勝頼も由良、長尾を攻めていた。その後、武田勝頼滅亡後に織田家の瀧川一益が上野国の蓑輪に入る。関東の豪族が傘下に入る。
北条氏は織田氏と友好関係だったが、瀧川が入ることで北条の夢は一度は挫折する。

その2ヶ月後に本能寺の変である。変後、瀧川一益は神流川の戦いで北条に敗れ、伊勢に逃げ帰る。北条はその後上野国を抑え、信濃国にも入る。真田は北条に付く。甲斐も領国化しようとした。そこで徳川家康とぶつかる。若神子の合戦が長期戦になる。そこで真田は徳川に付く。
その後、徳川と北条は和議を結ぶ。そこで上野国は北条とした為に、沼田領を持っていた真田は怒り、反徳川になるわけである。
北条は北関東の反北条の豪族ともよしみを結んでいく。

前述したように北条は徳川と結ぶが、中央で豊臣と家康の小牧・長久手の戦いがある。この戦いでは戦闘は徳川有利であったが、戦争としては豊臣の勝利となる。長引けば北条は徳川に味方しようとしていたわけである。
小牧・長久手と同時期に北関東では沼尻の戦いがあり、それは戦闘的には北条有利で終わり、その後の戦争処理でも北条有利で進んでいた。

しかし、中央で徳川は豊臣に従うことになり、徳川が間に入った北条が、外交戦で豊臣→上杉、豊臣(上杉)→北関東諸豪族の戦いに遅れを取っていくわけである。豊臣秀吉による惣無事令という大きな枠組みで私戦が禁止される時代になったことへの認識がなかったわけだ。

真田氏の城を北条が攻めたこと(名胡桃事件)をきっかけに小田原攻めが行われることになり、結果として北条だけが豊臣という天下の軍に刃向かい、滅ぼされることになる。奥羽の伊達は辛くも間に合ったわけである。

この本は沼尻の戦いと以降の流れを、詳しく述べる一方、豊臣と徳川の中央での戦いを絡めて詳述し、著者の言わんとするところを展開している。

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