「殺生と信仰-武士を探る」 五味文彦 著

武士の行動パターンを、昔の物語などから洗い出し、それに政治的事象も絡めて、武士というものの実体を探っている。当時に作成された多くの物語から武士の生態を探り、論を進めているが、それが繁雑と感じるのかわからないが、読み難い本である。

武士の源流に、元々は狩猟民で弓と馬を巧みにあやつる人がいた。それが11~12世紀頃には館を築き、その周辺の土地を開発する農耕民的性格を帯びる。土地を開発し、これを寄進して上から保護を仰ぐ開発領主となる。
武家政権ができると都市に住む都市生活者の面を帯びる。大番役で京にも行き、その貴族的な生活にも触れる。

武士は土地(所領)を恩賞として求めるが、山賊、海賊、盗賊は宝物に求めるところが違う。飢饉の時に盗賊らの活動は活発になる。それから守ろうと武装したのも武士。寺社も僧兵として蜂起する。これにも対抗したのが武士。

広く朝廷において家職や家業が成立してきた時期と一致して「兵の家」が外部からも認知される。この家の歴史を合戦の冒頭に名乗りに使う。

元々、朝廷には文官に対応して武官がいた。武官は反乱が生じると編成されて討伐に向かう。他は朝廷の警固、都の警備である。源義家は後三年の役の時に朝廷から褒美をもらえず、自腹で恩賞を与える。こうして地方の兵を組織化した。

院政期に院の武装警固に武士を登用し、それで源氏、平氏が台頭する。院も荘園を積極的に認め、開発領主である武士は寄進し、上からの保護を受ける関係を結ぶ。

鎌倉幕府が成立し、相続の繰り返しで開発領主である武士の領地が少なくなり、そこで混乱。反政府的な者は悪党と呼ばれる。

そうした中で 西行法師のように発心して仏教の道に入るものも出る。鎌倉新仏教もこのような人に支持された面がある。彼等は将軍や朝廷ではなく、天、神、仏に従属し、それらを畏れる生活と言える。





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