「江戸の災害史」 倉地克直 著

江戸時代の大災害、それは地震、津波だけでなく噴火、洪水、火災、飢饉なども含めて時系列的に取り上げて、そこに当時の幕府、諸藩、富商などの対策や救済事業の実態をからめている。江戸後期になると疫病も含めて記述している。

自然科学で過去の地震の痕跡を探ることは行われているが、それに対して歴史学者の関心は薄く、記録の発掘は遅れていた。この本の最後に付記されているが、文禄5年の別府湾地震では、閏7月9日と12日の2回起きた記録があると言う。2016年の4月14日と16日に熊本で2度、大きな地震が続き、はじめのが本震から前震に、そして後のが本震にされて、今の地震学は何なのかとの思いを抱いたが、このような古記録が知られていれば注意が喚起できた可能性もあるわけだ。

災害の記録は、記録史料だけに時代を遡るほど少ない。また地方の記録は中央に比べて少ない。死者、被災者の人数なども細かく上げられていて、そのようなデータを入手する基礎資料として役立つ本である。

飢饉の原因となる気候変動は、前の時代から概観すると、10~12世紀は温暖で、現在よりも2~3度高い。だから稲作限界が北へ延びる。14、15世紀は気まぐれに変動するが、それでも寒くはない。16世紀になると寒冷化する。江戸時代は基本的に寒冷期であり、その中で40~50年で周期的に寒暖を繰り返したという。その寒冷期に寛永の大飢饉、享保の飢饉、宝暦の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉が起きる。

大火は江戸、大坂、京都などの大都市化=人口の密集と関係する。計画的な街造りがなされていないと助長する。

大噴火は富士山、浅間山、雲仙普賢岳、伊豆諸島など、今でも活発な火山(富士山は今はおとなしいが)で生じている。

日本列島は江戸期に限らず天災も多い国だが、江戸期に救いとなったのは、平和が続いたこと、鎖国(疫病などは来ない)、それと幕府、藩の領民支配の基調が撫民=仁政におかれたことである。

江戸時代の庶民の平均寿命は男女ともに40歳代。家は2~3代を超えるのは稀という時代だ。

政治は寛永の大飢饉と島原天草一揆で撫民=仁政に関心を持つようになる。池田光政などはそれを実行した大名である。
規模の大きな災害が発生すると幕府=公儀の救済機能が期待され、それに対応するようになる。大名に手伝いをさせる国役普請などは当初は城造り、綱吉時代は寺社造営、その後は治水事業などになるが、公儀も大名も財政窮乏となり、思うようにいかなかくなる。

その後、経済の発達につれて富裕町民が出ると、彼等に貧者、困窮者への施しに、住民も公儀、藩も期待するようになる。その期待が叶えられないと打ち毀し、一揆となる。庶民は天災の鬱憤を世直し、踊りなどの無礼講、瓦版、狂歌などで発散する。

江戸時代後期になると、公儀は海防も大事となり、災害救済は関東中心となり、他は各藩の工夫に委ねるようになる。藩によっては藩政改革に成功するところも出るし、前述したように富裕町民、農民を金の力で取り立てて彼等の力を借りる藩も出る。一方で改革に失敗して一部権力者と特権的商人の癒着なども起こり、武家内部も庶民に同情的なクラスも生まれ、藩内対立が起きる。
こういうことが尊皇攘夷などの主張と結びつき、江戸幕府体制は崩壊する運動につながったのかもしれない。

江戸の時代の改革(寛政、天保)のポイントや、元禄文化、化政文化とは別の宝天文化(宝暦、天明頃の文化)なども記されていて、私には参考になった。

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