「集英社版日本の歴史⑦ 武者の世に」 入間田宣夫著

この本では、平将門あたりから鎌倉幕府の終わり頃までの歴史が記述されている。日本の中央の動きだけでなく、辺境のエゾ、琉球や海外までも踏まえて記述され、また天皇、将軍から、末端の庶民の暮らしにまで、眼が及んでいる歴史書で、内容が豊富であった。

章は「武人政権の系譜」「未開から文明へ」「兵が世に出る」「日本国の乱逆」「日本国の乱逆(続)」「泰時の平和」「在地の生活」「神仏に祈る」「蒙古襲来」の9章に別れている。

「武人政権の系譜」では平将門の乱と、当時の遼(契丹)が渤海を亡ぼしたのがほぼ同時代と説く。当時の坂東は水田よりも台地での畠が主の地で、「しゅう(人偏に就);場の党」の武装集団がいた。交通路で、都への貢納品を奪ったりしていた。このような者を取り締まる辺境の軍事司令官の家が平将門の家である。瀬戸内海の藤原純友も海賊の警固使であった。
この章で奥州の奥六郡、山北三郡のことや、そこで起きた前九年・後三年の合戦のことにも触れていてわかりやすい。その大将である源氏の棟梁伝説が生まれた背景も書かれている。

「未開から文明へ」では、中国からの銭の流入を中心とする日宋貿易のことが詳しい。そして平安時代後期の温暖化時代に大開発の時代になり、鉄の生産=鉄の農機具も津軽でも盛んになったことが書かれている。そしてこの時代から外来の仏神のもとでの一味神水の作法も生まれる。兵が村に生まれ、その兵の生活が書かれている。

「兵が世に出る」で、エゾとの軍事衝突で武器の改革が起こり、馬が使われるようになったことが記される。そして院の力が強くなり、院も武士の力を活用する中で、源平の棟梁が中央政界に出る。

「日本国の乱逆」では保元・平治の乱が説明される。そして源氏の政権が鎌倉に生まれるまでを書く。

「日本国の乱逆(続)」では頼朝の奥州征伐の戦いや南の方での征圧の状況に触れ、承久の乱までの政治の動きが描写される。

「泰時の平和」では武士政権の都・鎌倉のことや、当時の東アジア情勢、西国の武士やエゾ地に鎌倉政権の支配が強化されることを描き、北条泰時の治世、それに御家人の御恩と奉公を中心とする生活ぶりを書く。この頃から寒冷化がはじまるとのこと。

「在地の生活」では百姓がたくましく生きる様子を書く。開発の様子や、市のにぎわい、そして奥州の住民の生活振りを書く。

「神仏に祈る」は民衆の信仰の変化が詳しい。鎌倉仏教が生まれた背景なども書いていて参考になる。

「蒙古襲来」は、まず北条時頼の頃から御家人の合議よりも北条家の独裁が強まっていく様子を書いていく。そして北条家に冨が集まる状況を説明していく。冨の集中は、摂関家→上皇(院政)→北条得宗家と変化してきたわけである。ここで中国北方で遼、西夏、金が建国し、モンゴル帝国が生まれてきたことを説明し、蒙古襲来のことになる。そしてその後、安達泰盛が北条家の家老的な平頼綱に亡ぼされ、北条家の独裁が進むところで巻は終わる。


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