『日本の歴史七 南北朝・室町時代 走る悪党、蜂起する土民』安田次郞 著

鎌倉幕府の滅亡、南北朝時代、室町時代の応仁の乱までが書かれた歴史書である。著者は大和国のことを調べていた研究者であり、その事情も詳しい。当時の大和国の状況などは参考になる。例えば、興福寺は藤原氏の氏寺で大和の大半を支配していた。藤原氏の各家の出身者が長になる興福寺における院や坊が決まっていた。近衛家の一乗院と九条家の大乗院がそれである。鎌倉時代中期から近衛家から鷹司家、九条家から一条家と二条家が分かれて五摂家となるが、13世紀の中頃から競合し、門跡同士の抗争がはじまる。例えば永仁の闘乱と呼ばれることがあり、それは鎌倉幕府が出てきて制圧する。
同時期に比叡山でも妙法院の尊教座主と有力者の性算が対立し、永仁6年に比叡山の伽藍が灰燼と帰す事態となる。
高野山でも弘安年間に高野山側と近隣の領主と争いがあり、幕府が抑える。

そうした中、各地で悪党と呼ばれる神をも畏れない者が出現する。春日大社の神鏡を盗んだりしている。神が大きな役割を持つ中世に、このような悪党が出るのだが、ある意味で商業や流通の活発化、銭貨の浸透という大きく変わる社会にいち早く対応した人々と著者は書く。
そして、建武の新政に向けて、悪党の匂いがする個性的な人々が後醍醐の周りに集まる。無礼講が開かれ、日野資朝、文観(真言立川流の僧侶)や円観(元延暦寺の僧だが禅、律の僧になる)などだ。後に後醍醐天皇の腹心となる千種忠顕や北畠顕家とその父親房も戦う公家で異色である。もちろん楠木正成も悪党の一人である。
滅ぶことになる幕府の執権の北条高時も、田楽と闘犬に明け暮れたという悪党的な性癖も持っていた。なお当時の田楽とは奇想天外な演芸で、人の眼を驚かすようなものだったようだ。
鎌倉幕府を倒した足利家執事の高師直や守護大名の佐々木道誉、土岐頼遠などは婆娑羅という無頼の姿、態度を取る。公家の千種忠顕もそうである。贅沢、無礼、放逸、僭越、傍若無人、異様という意味である。何か不思議な時代である。
皇族も武人となって、護良親王は大和、河内で活躍する。後に足利尊氏と対立する。
後醍醐が親政するが、配下の武士に所領要求にこたえられず、恩賞、所領問題に対応できなかった。

足利尊氏という人物もわかりにくいが、当初の行動は弟の足利直義を大事にしていくという行動だ。直義は政治的な才能のある人物で、軍事は尊氏や足利家の執事の高師直などが担当する。
このうち高師直と足利直義が対立する。そして足利尊氏・足利義詮と足利直義・直冬(尊氏の庶子)が対立する。天皇家も北朝と南朝に対立する。

九州では後醍醐の息子の懐良親王が菊地氏と連携して勢力を持ち、明と交易もする。

鎌倉には足利義詮の弟の足利基氏が鎌倉公方となり、執事の上杉憲顕が補佐する体制となる。こうしてみると、室町時代前期は日本全体が統一されていない感じである。

幕府で管領の斯波、細川氏の争い、その後の足利義満の治世となる。義満の時代に土岐氏の乱や明徳の乱で山名氏の力を削ぐ。南北朝の合一となる。義満は皇位を狙った可能性も十分あると、いくつかの事例を書いていく。

当時の倭寇のこと、また唐物趣味のことも書いている。そして会所(室内の面会・寄合場)に唐物を飾り、その管理、飾り付けに同朋衆がいたことを記している。
当時の禅宗が国際性(=中国との関連)を持っていたこともなるほどと思う。
義満後に関東では上杉禅秀の乱、応永の外寇がある。
そしてくじ引き将軍義教となる。関東では永享の乱がおこり、皆、義教の政策に恐怖を覚える。
そして民衆は正長の土一揆などをおこす。
将軍義政の時に享徳の乱が関東でおこる。そして京都周辺に土一揆。そして応仁の乱となる。義政は自分の趣味の為に、庭木を貴族の家や寺社仏閣から取るようなことをする。
飢饉も多く起きる。
応仁の乱は将軍家の後継争い、斯波家の家督争い、山名と細川の対決、畠山家の家督争い、大和国の越智家栄と成身院光宣、筒井順永の覇権争いなどがからみあう。

この記事へのコメント

まあちゃん
2017年07月02日 21:42
教科書やものの本(歴史書含む)に「〇○の乱」という表記があります。振り返って考えてみると、これって何なのか?明治に入ってからも「佐賀の乱」「西南の役」「戊辰戦役」「盧溝橋事変」、戦後は「朝鮮動乱」など呼び方に関しては枚挙にいとまがない。古くはこの本にも出てくる「応仁の乱」というのが学校で習った通りに我々の頭にすんなり収まっていますよね? なんかおかしくない? 言霊の国なのでそうなのか?
これっていったい何?「太平洋戦争」「シナ事変」「薩英戦争」など、どうも其の戦いの規模(スケール)で呼び分けている訳ではなさそう。「長篠の戦い」なんてのも自然に覚えているし。「保元・平治の乱」については、美しい立派な絵巻もあるが、要はやるかやられるかの血生臭い戦争だ。
あれこれ呼び名を変えるのは、日本的な遠慮(忖度)なのでしょうかね?

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