信濃路の旅④ 開智小学校

開智小学校は明治6年に開校した小学校であるが、今はこの旧校舎が移築され、国の重要文化財に指定されている。新校舎の開智小学校は、この隣にあり、校庭が広く、校舎も少し重文校舎に似せて建築しており、微笑ましい。

ちなみに私が卒業した市川市立八幡小学校も明治6年の創立である。公立だが名門小学校と言われている。もっとも、その名門の意味は、都内、千葉県内の私立中学校へ進学する卒業生が毎年、卒業生全体の40%から60%(年によって変化)になるということだ。
私は、折口信夫作詞、信時潔作曲の校歌が、名門の名にふさわしいと思う。もっとも小学校の時は校歌の意味がわからなかったが。

それはさておき、開智小学校の洋風の校舎費用の約7割を松本市民の浄財でまかなったという。地元出身の大工棟梁の立石清重が東京の洋風建築も見学して造ったという。
偉いもんである。色グラスも多用しており、ギヤマン学校とも呼ばれたようである。約90年使用し、洪水の被害に遭い、その後に現在地に移築されて重要文化財に指定される。

校舎の中には開智小学校の歴史だけでなく、当時の教育内容、昔の生徒の絵画作品(校舎を描いた)などがわかる資料も展示されている。入口にはお土産品を売るコーナーもある。

松本城もそうだが、古いものでも、”残すに値するものを残す”という考え方の人物がいて、またそれを支持する民の声が高くなるというのは、松本市民の民度が高く、文化程度が高いのだと思う。

松本城から開智小学校へ向かう道に、池上百竹亭という昔の呉服商が建てたお茶室などの建物があった。御庭が開放されていて、入ると、受付の方が声をかけてくださる。その話の中で「どちらからお越しですか?」と聞かれ、答えると、「ここは田舎で何もないのですが」と卑下、謙遜されるが、とんでもない。私が住んでいるところの方がよほど民度が低い。

私が卒業した千葉県下一番の県立千葉高校にも、戦前に建てられた古い風格のある校舎があり、私から言わせれば開智小学校の校舎より、いいと思うが、どんな理由かわからないが、取り壊されてしまった。
法隆寺などの古建築や、この開智小学校もそうだが、残そうという意識があれば、耐震性能不足などのもっともらしい理由があっても残せるのである。
千葉県の民度の方がよほど低い。

松本も、上諏訪も、町の中に巨木も多い。私の住む市川市八幡地域には、幸いに葛飾八幡宮の境内に千本公孫樹という天然記念物が近くにあるから救われるが、大樹も無いような地に住む人間は可哀想と思う。

開智小学校のことを書くつもりが、横道に逸れた。芸術的価値よりも、建築学的価値があるのだろう。

なお、松本には戦前に軍隊があった。通常は軍の駐屯地や、兵器工場があるとアメリカ軍の空襲を受けるのだが、空襲は無かったようだ。それも幸いしたのだろう。

松本市は地形から湧き水が多い盆地で、住みやすいところだと感じる。もっとも冬は厳しいだろうが。

この記事へのコメント

まあちゃん
2017年06月20日 21:10
温泉を訪うドライブの途中、昔の街道筋の町の中に、その土地の観光案内にしか無いような建築を見かけることがある。時間があれば其処に寄ると、廃校になった小学校が一種の歴史博物館になっており、その外観も嘗ての進取のデザインに満ちており、何故こんな田舎にこんな立派な学校がといぶかしがられるが、中へ入ってみると、その地域の民芸品から農作業の道具とか蚕を如何に大事にした生活であったとか、教室内の様子の再現とか、鉱物の標本とか、化石から火山の噴出物とか、もちろんその当時の教科書や子供の作文まで、拝見できる。その資料群の豊富なることは驚くべきで、やがてよく読むとこれらは全て地元の有志の方からの寄贈品であり、それらを分類整理して、郷土の歴史館の中身を充実させているのだと分かる。
勤めている職員はたいてい2~3人で、ほとんど観光客は立ち寄らないから閑散とし、よそ者が見に行けばつつましく控えめに歓待されます。温泉で落とすべき世の垢が、此処で洗われる思いがしたものです。見るべき物がじっと眠っていたのですから。

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