「時代の声、資料の声」 吉村昭 著

吉村昭の対談集である。対談の相手は沢木耕太郎、久保田正文、和多田進、加賀乙彦、半藤一利、吉行淳之介、色川武大、森まゆみ、城山三郎、饗庭孝男である。

沢木耕太郎との対談では、吉村昭もボクシングを観るのが好きであったことを知る。2人の話題はボクシングで盛り上がっている。吉村昭もボクサーを主人公に小説を書いており、沢木耕太郎もカシアス内藤のことを書いている。ボクシング好きな人にはたまらない対談だと思う。私はボクシングを生で観戦したこともないが、人間の戦いの原点のようなものであり、怖いスポーツだと思う。

久保田氏との対談では事実・写生・写実(ノンフィクション)と小説(フィクション)との狭間というテーマで話し合われている。同様のテーマは和多田氏との対談でも出てくるが、吉村昭の戦争関連の小説などは、そのような興味を惹くのだと思う。吉村昭の戦争時の「戦艦武蔵」や丹那トンネル掘削時の「高熱隧道」などはノンフィクションのように感じられるが、吉村昭は小説と思い、執筆したと明言している。ただ、作者の想像上の産物はできるだけ除いているわけで、その狭間について具体的に語っているのが興味深い。

小説は編集者が作家の文章をしごくが、ノンフィクション作品の場合はそれが少ないと吉村が述べている。具体的には、一つの形容語が一冊の本に3つあるのも許されるべきではないと述べている。
また作家となっても、筆で喰おうというのが間違いだとも述べている。その理由として、お金の為に不本意なものも書かざるをえないからというのが、吉村の論理のようだ。絵でも売り絵となると、結局は後世に残らない。

また記録はそっけなく、つまらないものと述べている。それに対して当事者の話を聞くと、ちょっとした表現で情景がパッと浮かび出るようなことがあり、吉村昭はそういうことから小説にしているわけだ。同時にその現地に出向くことで、当時の情景なども想像できるわけだ。

またドキュメント、ルポルタージュと小説では、書き手の眼の位置が違うとも書いている。これは難しい問題であり、簡単にはいかないようだが、私も知人から、このような難しさを聞いたことがある。

あとは戦争中の体験や、吉村昭の結核治療のことなどを話題にした対談も続く。加賀乙彦との対談では癌の話、医療の話から話は広がっていく。半藤氏との対談では、東京の戦争のことだ。ともに東京で戦争体験(兵ではなく、少年、子供として)を持っている。具体的な逸話が話されている。
吉行淳之介との対談では戦争中のことからお互いの結核療養の話や色々と興味深い話がある。城山三郎氏とでは戦争の話、それに関連した軍隊組織への忌避、当時の風潮などが出ている。

色川武大氏との対談は昔の東京での映画、芝居、演劇、大相撲、寄席の話や正月の話が出てくる。森まゆみ氏との対談でも昔の東京の思い出が中心である。
饗庭氏とは吉村昭の刑務所関係の小説にからんだ話もでている。

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