「神道史概説」 筥崎博生 著

いただいた本である。神道の歴史と、その過程に生じている神道に関する事項、説について解説している本であり、神道史の教科書である。

神道の起源は明確にはなっていない。『日本書紀』の第31代用明天皇の項に、「天皇仏法をうけたまひ、神道を尊びたまふ」とあり、第36代孝徳天皇の即位前紀に「仏法を尊び、神道を軽(あなず)りたまふ」とあり、仏教という外来宗教が来たことで、日本古来の神道が再認識されたような感じである。

神道の特色は「自然との協調、融和、共存に特徴がある。西洋の宗教が自然との対決、ないし克服を色濃く内在させていることに比して、日本人の宗教心意は、自然を尊重し、その恵みに神を感じ取り、感謝と畏怖を「祭り」という形で表象化させてきた。その差異は両文明を育てた風土に起因するところが多い」とあるが、著者の説の通りと思う。
自然の条件を人間にふさわしいものに変えて、共に生きようとする宗教心意が農耕文化ということだ。

神の認知と、その神をまつる者との間には「祭り」という形態がどうしても必要。それが神道の原型。家族とは別個の地域共同体成員との融和、共生、一体化を意識した時代に「祭り」が共同体的祭祀にまで発展していき、それが定着した時期が、神道の成立期だろうとし、稲作の農耕文化が生まれた弥生時代に神道の起源があるのではないかとのことだ。

仏教が伝来し 物部氏、中臣氏は仏教に反対、蘇我氏は賛成という対立を経る。そして大化の改新。その後、仏教は日本化、一方、神道は仏教の影響を受ける。

奈良時代から本地垂迹説の萌芽が芽生え、『日本霊異記』の説話に備後国の者が神に感謝し寺を建立という話がある。平安時代中期には本地垂迹説がでる。

そして仏教による神道学説として山王神道、両部神道、法華神道が生まれる。そして一方で、反本地垂迹説が出て、伊勢神道が度会氏がまとめ、これに影響を受けたのが北畠親房の『神皇正統記』。

そして室町期に吉田兼倶が吉田神道として集大成する。従来は社寺ごとの縁起中心の本迹縁起神道説と、仏教的なものの両部習合神道であり、そうでない元本宗源神道(唯一神道)とした。神道に儒教、道教、陰陽道も入っていた。

民衆信仰の伊勢信仰、稲荷信仰、天神信仰、八幡信仰(蒙古襲来の時以来の国家防御の神)は存在した。

近世になると林羅山が神儒一致論を唱え、儒教の影響が強くなる(元は藤原惺窩)。度会延佳の神道も生まれる。
江戸幕府の神道方から吉川惟足の理学神道(武士道と儒教の影響)が生まれ、山崎闇斎の垂加神道で体系化される。

その後、国学が興り、復古神道が生まれる。儒教、仏教を攻撃し、日本の古道にかえれということで、平田篤胤が完成させ、明治維新のバックボーンになる。

この行き過ぎが、王政復古後の神仏分離、廃仏毀釈運動となる。キリスト教排斥を欧米から批判され、仏教排斥もやめる。

幕末から明治になって生まれた神道は教派神道とも言われるが、神道大教、黒住教、神道修正派、出雲大社教、扶桑教、実行教、神道大成教、御嶽教、神理教、神習教、禊教、金光教、天理教などがある。

戦後は戦時の反動で、神道は否定的に見られたが、政教分離が改めて実施され、神社本庁ができる。

神道は絶対神を持たない宗教、そもそも八百万の神々である。現世を重んじる宗教で、統一した教義を持たない宗教で、教派神道を除いて、教祖も持たないのが神道である。

神の恵みと祖先の恩に感謝して、地域共同体とは「祭り」で一体感を持つようになるが神道である。

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