「偽りの大化改新」 中村修也 著

大化改新は日本書紀の記述にあるが、不自然な点が多すぎると著者は言う。歴史史料は日本書紀以外に無い中、それらの疑問点を、当時の人間関係とそこにおける人間の心理に思いを至らせば真実がわかるのではないかと分析した本であり、大筋では説得力がある。

筆者が挙げた疑問点は、次の通りである。
①中大兄皇子は自分の身を危険にさらしてまで蘇我入鹿暗殺を図ったのに、どうして自分が即位しなかったのか。
②蘇我氏が倒されたのに、どうして皇極女帝(中大兄皇子の母)は退位しなければならなかったのか。
③軽王子はどうして大王(孝徳天皇)に選ばれたのか。
④中大兄皇子は王族なのに、どうして自らが入鹿殺害に加担したのか。(当時、血の穢れ思想はあった)
⑤蘇我倉山田石川麻呂は、同じ蘇我氏なのにどうして、蘇我入鹿殺害に加担したのか。
⑥乙巳の変の際、中大兄皇子の弟の大海人皇子は何をしていたのか。

まず古代の女帝誕生は特殊な政治事情があり、基本は血縁の男性に天皇位を譲るために、他に天皇位が移らないように女帝を立てている。だから皇極は息子の中大兄皇子を大王にする為だ。だから皇極即位時には中大兄皇子は成人ではなく16歳だった。大化の改新時は中大兄皇子は20歳で成人になっていた。

舒明天皇が崩御した時には、皇極の息子以外に、候補者は山背大兄王と、古人大兄王子と、軽王子がいた。蘇我氏の血縁は山背大兄王と、古人大兄王子である。

まず山背大兄王を蘇我入鹿が殺すとある。蘇我氏の血縁であり、これは実際は皇極女帝が黒幕だと考えられる。山背大兄王が殺されても蘇我氏の血縁としては古人大兄王が残っている。

こうなると、次の天皇は蘇我氏の後ろ立てがある古人大兄王子が有力になる。そこで軽王子が大化改新(乙巳の変)で蘇我入鹿を殺したのが実態だろう。現に大化改新後に天皇になったのが軽王子こと孝徳天皇である。また孝徳にとっては皇極女帝は邪魔であり、退位させられたわけである。

そして蘇我氏の後ろ盾が無くなった古人大兄王子は自ら出家したものの陰謀を企んだとして殺される。

そして孝徳が崩御してから、今度は皇極女帝が再び天皇となって斉明天皇となる。ここで中大兄皇子が皇太子となる。
孝徳天皇の子の有馬王子も殺されて、中大兄皇子の邪魔者はなくなり天智天皇として即位する。

その後、弟の大海人皇子が天智天皇の子の大友皇子を滅ぼす。

日本書紀を編纂したのは大海人皇子こと天武天皇。そこで兄の中大兄皇子=天智天皇を冷酷な人間とする為にに大化の改新以降の主導者に仕立て上げたという推理である。

それぞれの事件の後に、有利になる人物が事件の実質的な主導者とするような推理で、それなりに説得力のある論理展開である。



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この記事へのコメント

まあちゃん
2017年06月14日 20:32
『日本書紀』につづく正史として『続日本紀』がありますが、述べれれている物事について思うに、編年体のドキュメントとして我々が受け取るより、当時のおぼつかない世相の集大成だと言った方が正しいかもしれません。安直に言うなら、ちょうど今、いろいろな事件や事故が満ち溢れている不安定な一時期を、為政者側から切り取ったパズルのようなものではないでしょうか。だから不都合なものは一切無い、というのは情報が誰にも開かれているという、マスコミ的な現代の思い違いかもしれません。玉石混交といった感じで当時の正史は描かれているようです。原文をつぶさに読んでいきますと、現代よりも当時の方が、いろいろ悩んでいて、日本人の正直さが窺えますよ

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