沖縄旅行④ 歴史(首里城、識名園、玉城城跡など)

 沖縄は北部は酸性土壌、南部はアルカリ土壌とまったく違うと聞く。サトウキビはどちらでも育つが、パイナップルは北部でしか育たないと聞く。南部の珊瑚礁隆起の石灰岩地区は土壌がアルカリ性、加えて洞窟が多いから、そこに古代の人骨も残っている。3万年ほど前の人骨も出ているようだ。

 古い時代の城塞(グスク)は南部の玉城(たまぐすく)だけを見学したが、石灰岩の厓に、加工しやすい石灰岩で石垣を造っている。登ると眺めが良く、要害の地と思う。眼下にゴルフ場が見え、ちょうど明日から女子プロの大会(ダイキン・オーキッド)があるとのこと。米軍から返還された土地をゴルフ場にしたという。
なおグスク(城)とは、その地にはじめて来た家のことを称したものと、タクシーの運転手は語っていた。

 沖縄は日本の南北朝時代の頃(14~15世紀)は北部、中部、南部に分かれて争うような三山時代があり、1429年に南部の尚巴志が統一した。途中で王統が変わり、第二尚氏の時代が長く続く。江戸時代初期に薩摩の侵攻を受け、属国とされる。首里城の近くに、今でも尚氏の子孫が住んでいるとのことでタクシーが家の前まで行ってくれた。

首里城は当初米軍は砲撃対象外にしたようだが、日本軍が地下壕を掘り、隠れたために砲撃して壊滅する。まだ再建の途中だが、立派なものだ。日本の城とは石垣も建物も違う。
石垣は石灰岩で高く、壁の厚さもあり、曲がる箇所は柔らかく円弧を書いてカーブしている。そして、その先端が上に軽く反っているのが印象的である。水を確保する箇所が石積みで丁寧に造られている。日本の井戸とも違う。
登っていくと、途中に守礼門、歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門などの門がある。建物は軍事用というより、中国の宮殿のようで、正殿、北殿、南殿、黄金御殿、奥書院などがある。正殿以外は展示場(楽器、漆器、衣装など)である。色も朱である。北殿は中国の役人、南殿は薩摩の役人の接待所だったようだが、違いは印象に残っていない。これら建物で囲まれた所に役人等を集め、儀式が行われたわけで、ここは中国式である。儀式の様子は模型で展示されている。

下に龍潭と呼ばれる池がある。濠の役割もあったのだろうか。周りを散策できるようになっており、水辺には鴨と鷺がいた。

 首里城の近くの玉稜(たまうどぅん)は王家の墓である。昔は風葬であり、遺体を置いて置く部屋、風化した遺体を洗骨した後の王と王女の墓、もう一つは王族の墓と3つに分かれている。
 沖縄の墓は中国と似ており、「家を建てるより墓を建てる」という風習があり、立派なお墓が多い。中国に旅行した時に見た墓と似ている。上が亀の甲に似た亀甲墓、その他に破風墓、屋形墓などがあるようで屋根の形によるようだ。風葬の風習で大きいとも言う。中国と同様に宗教は儒教か道教かとタクシーの運転手に聞いたら、キリスト教が多く、次いで創価学会とか言っていた。観光した範囲では寺は見なかった。ネットで調べると祖先崇拝が多いとある。

 識名園は、首里城近くの別の丘の上にある。琉球王家の別邸で、保養や外国使節の接待などに使われたようだ。ここも戦後の再建である。勧耕台は四方が見渡せる場所だが、四方に海が見えない。ここで中国の使節に、沖縄は大きな島で海も見えないところがあると言ったらしい。庭園は回遊式庭園であり、美しい。植生がガジュマルなど南国の木々であり、また中国風のあずま屋があったり、アーチ状の石橋、滝として外に落ちる場所など日本の庭園とは感じが違う。美しい庭園である。

 金城町石畳道は首里城と識名園を結ぶ道の一部で、米軍の砲撃でやられなかったので昔からの石畳道が遺されている。道幅3メートルくらいであろうか。途中、道をそれた所に樹齢300年のアカギの大木がある。また坂の途中で水を貯める場所=水を利用する場所である金城大樋川がある。周りの民家の塀は石垣積みで厚い。非常に急な坂道であり、識名園に向かう時はまた急な坂道を登ることになる。昔は王様を乗せた駕籠が行き来したのである。ちなみに沖縄の人は自転車にあまり乗らないと言う。また雨があるが、傘は持たない人が多いと運転手が教えてくれた。

この道の途中にもあったが「石敢當」と書いた石碑が沖縄には多く建っている。これは中国から来た魔除けとのことだ。

斎場御嶽(せーふぁうたき)は南の方にあり、久高島を見渡せる地区にある。琉球王国最大の聖地とされている。久高島が見える大きな岩の間があったり、石灰岩の大きな岩に祈る場所がある。
聖なる白砂を久高島から運び入れ、それを御嶽全体に敷き詰め、聞得大君(きこえおおきみ→王族の女性が任命)の就任式である御新下り(おあらおり→首里城で儀式をしてここでも儀式)が一番大きな儀式だったと言う。

案内所で、注意点を説明した映像を見せられ、まず御門口から入る。道は幅が1メートル強の石畳道で、そこに黄色の砂が混じり、私はハブの肌のように見えた。ハブはこの保護色だ。それから大庫理の祈祷所、そして道が分かれるが寄満という場所に行く、そこから戻り分かれ道を入るとシキヨダユルとアマダユルの壺(2本の鍾乳石から落ちる水を受ける壺)があり、三庫理という大きな2つの岩がもたれあった場所になる。この岩の間から久高島が見える。

巨石のところでの祈りは、日本の古代信仰とも共通すると思う。行ったことはないが、宗像大社の沖の島の映像でも見たことがある。

久高島は琉球開闢の祖アマヨキヨが天から降りて最初に造ったとされる。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

まあちゃん
2017年03月09日 20:08
沖縄侵攻戦で、まず那覇の首里周辺が米軍の砲撃や空爆で瓦礫と化しましたが、以来数十年目にはガジマルが、沖縄人の祈りどころ=御獄(うたき)に育って、木陰を広げる美しい大樹となっている様を見ないと、しまんちゅう(沖縄人)の心をうかがうことは
できないかも。いたるところに御嶽があり、それを見つける旅も、驚きの連続!

この記事へのトラックバック