「幻影の明治」 渡辺京二著

面白い本で、この著者に強い興味を抱く。著者は文芸評論家なのだが、もう一歩踏み込んだ歴史家みたいな感じも持つ。
本の章立ては次のようになっている。「1.山田風太郎の明治」、「2.三つの挫折」、「3.旅順の城は落ちずともー『坂の上のの雲』と日露戦争」、「4.「士族反乱」の夢」、「5.豪傑民権と博徒民権」、「6.鑑三に試問されて」、「<対談>独学者の歴史叙述ー『黒船前夜』をめぐって×新保祐司」であり、明治のことに焦点を当てているから本全体の表題が「幻影の明治」になっているのであろう。

「1.山田風太郎の明治」は山田風太郎の明治開化期の小説を取り上げて評している。山田は実在の人間を小説に取り込みながら、本当にそんなことがあったのかわからないようなストーリーを作り上げていることを指摘している。山田風太郎が隠して入れているような人物を、これは夏目漱石の若い時だとか、評していくわけで面白い。樋口一葉の日記を少し変えて、そこに実在の人物を入れて、新しいストーリーを構成するなどもやっているようだ。そのように山田風太郎の小説を解剖していくような面白さがある。山田風太郎がソッと入れた人物を暴けるのが著者の教養である。そして山田風太郎の描く明治の空気を著者も共感しているところもいい。山田風太郎の明治物の小説を読んだ後に、これを再読すると「なるほど」になるだろう。

「2.三つの挫折」は坂口安吾の『安吾捕物帖』の中の幕末ものを取り上げている。彰義隊くずれの者が登場するものをコメントしている。また長谷川伸の『江戸と上総の男』を取り上げ、坂口と長谷川は終戦直後の空気を知った人間が書いた小説ということだろうか。
幕末後の彰義隊くずれの主人公と、戦後の特攻くずれの人物を重ね合わせているのだろう。著者は歴史のはざまに生きる無名の人への視点を大事にしている。
また戦後の「解放」のあっけらかんとした混乱の空気を書いている小説に、大下宇陀児の『虚像』もあるとして内容を紹介している。
大きな社会変動は、その変動によって社会の上層、表面に躍り出る者と社会の下層、あるいは裏面に蹴り落とされる者とをうみだす。勝者の歴史だけでなく敗者の歴史も書かれる理由と著者は書く。
長谷川伸の『足尾九兵衛の懺悔』も京都の古い商家に生まれ、博徒になる物語だが、民衆の本質というか。民衆のしたたかさを書いていると評している。

3章は『坂の上の雲』に見られる司馬遼太郎の江戸時代認識(貧しい国的な認識)の誤りを指摘し、司馬文学の講釈の多さに辟易している。そして江戸期の村社会に生きた人間が、明治期に国家を意識したというよりは、村社会の意識のまま戦ったというのが実態ではないかと書いている。

4章では明治維新という革命後の第二革命である士族反乱を書いている。維新のやり直しを求める動きである。神風連は思想的に反乱した挙兵で、自決が異様に多い。廃刀令に対して、刀は神との交通するための霊器だったとの視点で反対して乱を起こしたと書く。その他の士族反乱の実態を色々と分析している。家臣団的な結合ではなく、思想党的な集まりもあり、必ずしも士族的利害だけの反乱ではなかった。

5章は、次の時代の自由民権運動のことである。幕末に全士族が従来の門閥支配を排除して能力に従って政治に関与すべきとした。この時には長州の奇兵隊だけでなく、尾張藩でも博徒も隊を作り、活躍したりして、士族の範囲は広がっていた。士族というより志士である。

しかし明治政権は薩長と一部の公家のものになる。そこで俗に不平士族の反乱という動き=第2革命が起きる。雲井竜雄はこれを怒る。
西南戦争後に今度は形を変えて、自由民権運動が土佐の立志社からはじまる。これも全士族に参政権を与えよという運動である。旧士族は殿様に「それはなりませぬ」と諫めるような参政権を持っていたと書く。
言い換えれば、明治は貴族デモクラシーによる国王権力の制限ということで英国のマグナカルタなどと同じ動き。

幕末に裾野が広がった士族(志士)は、明治になってから、また平民にされた。その復権運動も尾張の元博徒隊などは行った。
自由民権運動の中には豪傑のような人も参加してリーダーシップを発揮していた集団もある。また前述したように博徒が自由民権運動に参加したのもある。

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