「騎兵と歩兵の中世史」 近藤好和 著

著者は昔の軍記物のような物語と、実際に残っている鎧、兜や兵器(武具)から、中世の戦いの実相を研究している。
以前に「武具の日本史」を読み、このブログにアップしたことがある。(http://mirakudokuraku.at.webry.info/201403/article_1.html

古文(軍記物、歴史書)の引用が多く、甲冑・服飾の専門用語も多く、読み難い本であり、著書の全貌は紹介できないが、私が関心を持ったところを紹介したい。ただ中世の戦いの実相などを調べる時には良い本と思う。

著者の関心の一つは、中世後期(南北朝時代以降)、弓射騎兵から打物騎兵が主体になっていくことの理由であり、これは私も関心がある。
「おわりに」に欧米の軍事史から学んだこととして、戦闘の最終目的が①敵の掃討や殲滅、②領地の争奪かで戦闘方法も違うのではと問題提起をしている。
平安末期の戦いは①の敵の掃討・殲滅である。これには弓射が有効だろうとする。その理由として機動力の必要性を上げている。一方、②の領地争奪になると、拠点を奪うわけだから、拠点の支配・防御の城郭への攻撃となり、それは歩兵の攻撃が大切としている。特に②の領地争奪は室町時代後期からの話である。

これを私なりに解釈すると、南北朝時代だと、①の敵の掃討・殲滅が主だが、その敵が悪党・楠木正成の千早城のように拠点に籠もることになり、そこに領地争奪的な要素も生まれてくるわけである。
南北朝時代は、それまでの朝廷の荘園、幕府の地頭による管理という複数の権利者のいる管理から、天皇、幕府の両権力が失墜していく過程であり、室町時代になると守護大名に代表されるような領地の支配になる。そのような大きな変革があった時代というわけである。

なお、中世の戦闘で、著者が引用する古文書には騎兵が多く出現するが、本当に、多くの騎兵がいたのだろうかとは私が疑問に思っているところである。
私の疑問とは、騎兵には馬の口取りなど世話をする従者が必ず必要となり、これら従者も戦闘に参加する時に、騎兵同士で連携などは難しいだろうと言うことである。馬は高価(購入も維持メンテナンス)なものである。だから、鎧を着用した武者(ある程度以上の身分)の移動手段で馬が必要だっただけではなかろうか。そして、この時の戦いは、馬上の鎧武者が家の名誉をかけて、先祖からの歴史をお互いに述べ合って、一騎打ちで闘うような戦いではなかろうか。①の敵の殲滅が目的であり、当該敵の一人を倒せばいいわけであり、郎党などまで殺す必要はないわけである。

この戦いはモンゴル相手の元寇では通用しない。彼らは従者も殺す。このあたりから戦い方が変貌する。そして南北朝時代に天皇、幕府の権力がともに失墜し、強い者が土地とその生産物を取るようになり、②の領地争奪戦となり、雑兵まで戦いに参加する戦闘になるわけだ。



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この記事へのコメント

まあちゃん
2017年01月23日 13:52
本当に読書範囲が多岐ですね。今回の紹介を読んで、日本独特の長尺絵巻物(「蒙古襲来絵詞」や「後三年合戦絵巻」)の画面に現れる風俗に思いを致しました。絵巻はいずれもリアルタイムで書かれたものではないにせよ、歴史的に数十年の誤差範囲に入っているでしょうから、現在DVDで見る動画と同じか、と改めて気付きました。

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