「君たちには分からない 「楯の会」で見た三島由紀夫」 村上健夫 著

その一日の鮮明な記憶が残る日を「あの日あの時」と呼べば、今の日本人にとっては東日本大震災の日であろうが、それまでは三島事件を上げる人も多いと思う。私もそうだった。(アメリカ人にはケネディ暗殺事件をあげる人が多いと聞いたことがある)

この本は「楯の会」に所属していた著者が、還暦過ぎに当時のことを思い起こして書いた本であり、特に「楯の会」において自衛隊体験入隊をした時のことが詳しい。
三島事件の時には就職していて、「楯の会」の活動から離れていたようだ。この書は自分の記憶だけを頼りに書いたとある。それにしては自衛隊のことはよく覚えておられるが、この点は自衛隊OBに監修してもらったとある。

三島が隊員が自衛隊で演習している時に来て、色々な話をしたようだ。その時の思い出を書いている。三島は学生に対して丁寧な態度で接していることがよくわかる。同時に当時の自衛隊員にも礼を尽くして応対しているようだ。

剣道は五段だったようだが、鹿児島出身の三段の学生に負けたことが記されている。また懸垂を36回も行ったことを知る。これは凄い。本当に肉体を鍛えていたのだ。

三島が歳をとったら三島由紀夫を三島雪翁(これでも「ゆきお」と読める)に改名しようかと言っていたことを記している。だからこの時点では死ぬことを考えていなかったということだ。
著者は「三島が死ぬと決断したとき、それと知らずに背中を押した人がいたように思います。彼を重用したのが三島の最後の誤算でしょう」と書いている。もちろん、この著者は、その人物の氏名を把握しているのだと思う。

三島の民間防衛隊構想と楯の会の構築に、当時の首相のお声がかりがあったと思わせるようなことも、この著者は書いている。大学紛争が真っ盛りの頃に出来た組織であり、「楯の会」結成の背景に、このような動きがあったのだろうと思うようになる。

この後、多くの大学が八王子に移転したが、これは学生運動を避ける為との話をだいぶ後に聞く。それだけ、当時の学生運動に対して大学関係者は危機感を持っていたわけだ。今は都心に戻りたいようだが。

しかし学生運動も、44年の沖縄反戦デーで多くの幹部を拘束され、政治の季節が終焉に向かう。三島事件は昭和45年である。当時の首相佐藤栄作は三島事件に冷淡である。また時の防衛省長官中曽根康弘も冷たい。

今回、ウィキペディアで「三島事件」を検索すると、非常に詳しく掲載されていて、勉強になる。

ちなみに、あの日あの時、私は早稲田の学生(分類で言うと右翼ノンポリ)で、高校時代の友人で理工学部に行っていた男の下宿におり、そこのラジオのニュースでこの事件を聞いて衝撃を受けた。


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この記事へのコメント

まあちゃん
2017年01月19日 19:48
外側の事件と内側の事件との差は、そこに直面した当人が後々まで如何に生々しく記憶しているか(つまり体験していたか?)の差なのかも。つらい思いになるか否かです。
三島事件よりも東北大震災の画像が目に焼き付いている方は、居てもおかしくありませんが、その逆もあり得ます。なにせ団塊の世代はようやく成人になった頃でした。
21才ぐらいだったのでは。僕たちにも分からない彼の突入でした。
大騒ぎになったはずです、けれど、世は事もなしで生産や輸出に追われていましたね。
ロト
2018年11月28日 16:54
自衛官を刀で切り付ける必要性が無いです。
ただのテロ組織のテロ行為に過ぎないのでは?

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