「日本中世に何が起きたか」 網野善彦 著

この本は、著者の講演会の速記に手を入れた文章を中心にしていると最終章に書いているように、文章そのものはわかりやすい。ただし、講演会ごとの記録の為か、各章ごとの重複とか、説明不足などを感じる。
本の構成は、大きく「序にかえて」「Ⅰ境界」「Ⅱ聖と賤」「Ⅲ音と声」「Ⅳ宗教者」「あとがきにかえて」に分け、Ⅰ~Ⅳについては、その中に数編を所載している形式である。

著者は高校教師時代に、生徒から「日本における宗教家は、一遍、親鸞、日蓮など平安末から鎌倉時代に出現しているが、それは何故か?」という質問を受け、それに答えるために研究してきたと最後に書いている。

著者の論をまとめるのは私には荷が重いが、私なりにまとめると次のようになる。

中世の段階で、すでに非農業従事者が多くいた。彼等は供御人、神人、寄人などと呼ばれた職能民であり、天皇や寺社の直属民として課役、関料などが免除されていた。特に西日本に多かった。また平民の百姓にも漁撈、製塩、鵜飼い、林業、製鉄、製紙などを営む人がいた。

それから年貢は、米だけでなく、東国では絹、布、綿、西国では塩、鉄、材木、炭、油、紙などもあり、東北は馬、金などもあった。
このように日本は地域によってかなり違うと認識すべきで、人種的にも東国(縄文人)と西国(朝鮮半島からの弥生人)のほかに蝦夷、琉球などと違っていた。そして西国(天皇、寺社)と東国(鎌倉幕府)の政府があって、それぞれを治めていた。

土地を持たない百姓=貧しい百姓ではなく、土地を必要としない商人、廻船人、職人も多くいた。市庭=市場が世俗と縁の切れた無縁の場であり、こういうところで貨幣が発達し、資本主義が発展してきた。

「悪」は人のたやすく制御できない力をさす語で、それが悪党、悪人。13世紀から14世紀に以前の神仏の権威の低下、王権の権威の低下、幕府権威の低下で悪党が力を持ち、南北朝時代のように政治的混乱が続く。それを統一した足利義満は明からも日本国王として認めてもらう状況だった。

13世紀から14世紀の混乱は、農本主義と重商主義の対立のようなものである。後醍醐と花園天皇、平頼綱(得宗北条家)と安達泰盛、高師直・足利尊氏と足利直義の対立は、前者が重商主義で後者が農本主義と捉えて良い。結局足利義満が重商主義的考え方で統一する(遣明船などを出す)。

悪人が強く関与した重商主義を肯定した思想家が鎌倉仏教の宗祖である。悪人正機説の親鸞などはまさにその教えである。一遍の時宗も悪人と言われる層に広まる。

天皇の権威が落ちることで遊女や非人の地位が下がる。以前は犬神人と呼ばれて天皇に直属していた。遊女の和歌も勅撰和歌集に取り上げられていたし、南北朝期までは貴族でも母が遊女、白拍子でも恥じることはなかった。それが天皇の権威が下がることで、だんだん蔑視されるようになる。

ちなみに重商主義的な室町将軍家では、河原者の能を好むし、庭園も善阿弥という河原者の作品でもある。

面白い考え方である。



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この記事へのコメント

まあちゃん
2017年01月17日 19:17
遣唐使のつかわされた異国文化の取り込み時代から、約数百年経ち、日本がようやく独自の文化を育て得たのが、室町時代と呼ばれたバランスの良い時期だったかも。
この時代は、日本語の仮名、書体、漢文の読み下しなども板についてきた時期だったようです。すでに武士が台頭して朝廷とも親密にいましたから、武器である刀は当然、流通の範囲の商品だったはずです。
江戸以前の刀剣の研究は、着眼が、どのあたりにあるや。歴史の流れとともに解明されることを楽しみに!

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