「日本の歴史 新視点中世史 躍動する中世 五」五味文彦 著

小学館の日本の歴史シリーズにおける中世の部である。鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に該当するが、これまでの歴史書のように政治、軍事の出来事を書いている本ではなく、その下に流れる文化、宗教、生活のような底流を説明している。

この本の「おわりに」に、中世社会の5つの特徴が掲げられている。一.神仏への信仰を根底に持っていた。二.各地に地域社会が形成され、村や町といった今日の地域社会の原型がつくられた。三.イエを媒介にした多様な人間関係や社会が形成された。四.分権化の傾向が著しかった。五.人々は権力に頼らず、自力による救済を求めた。

これが戦国を経て統一政権になると、四の分権化が中央主権化になり、五の要素が強力な権力が支配する。一の神仏の力も削いでいくことになる。二では城下町が生まれ、三は封建社会の中でイエは残ることになる。

章立ては「1.日本列島に広がる歌と人」、「2.境界から中央へ、中央から境界へ」、「3.政治の型の創出」、「4.中世の生活と宗教」、「5.列島を翔る人々」、「6.政治と文化のかかわり」、「7.中世の環境と社会の変化」である。

「1.日本列島に広がる歌と人」では11世紀は歌の時代として、和歌だけでなく和讃、朗詠、今様などが流行したと書く。後白河上皇は今様に関心を寄せる。京に各地の物産も集まる。人が集まれば格差も生まれ、また病気も多くなり、その結果神が生まれる。神は神仏習合となる。浄土への憧れも生まれる。

「2.境界から中央へ、中央から境界へ」では各地で武士の館などが生まれ、古代では始祖との関係を基礎とした「ウジ」が基本だが、日常の社会単位の「イエ」(父と子の関係)が大事になる。天皇家から貴族もそのようになる。鎌倉幕府も東国の家が集まってできた政府である。
博多、平泉、京、奈良のような都市も生まれる。博多は日本と朝鮮・中国との異境、奈良は現世と宗教との境界、平泉は東国との境界ということだ。

「3.政治の型の創出」では、院政が生まれ、これは文人官僚や中級貴族が支えたとする。この勢力争いに武力を利用したことで、それが武士の世につながる。源氏の武士の家の寄り集まりの政権から、北条家による執権体制、さらに身内に限定した得宗体制になり、中央を純化するに従い、周囲との溝が出来て、鎌倉幕府は分裂していく。
院政では熊野詣、平家は厳島詣、そして源氏は鎌倉鶴岡八幡宮と信仰との結びつきを強めている。

「4.中世の生活と宗教」では鴨長明のこと、藤原定家、吉田兼好のことを紹介し、大仏建立に勧進した重源のことや、武士が信仰する対象として、より生身に近い運慶の仏像が好まれたこと、また勧進が念仏勧進となり、歩き念仏の一遍上人が生まれ、座禅重視の禅宗や現世利益の日蓮宗などが生まれる。

「5.列島を翔る人々」では働く人の姿が絵巻などにあらわれるようになり、各地で商業活動が盛んとなって有徳人が生まれる。そして蒙古襲来で日本が意識されるようになって、神国思想も生まれる。大陸から銭が輸入されるが、それは日本で作ってもコスト的にあわなかった為と考えられる。米一石で銭一貫が公定相場であった。大陸との人の交流も生まれていた。

「6.政治と文化のかかわり」では後鳥羽上皇は刀を作ったり、またあらゆる芸能に力を注ぐ。そのように天皇の力を意識した故に、承久の乱につながる。また貴族の家業(歌、書道など)が王権によって認められるようになる。
後醍醐天皇は儒学で天皇親政をしようとしたのではない。
足利義満の時代に幕府の力は確立するが、子の義持との関係が悪く、以降、足利家は内紛する。同時に幕府有力守護の家も内紛がおきる。
この時代、各地の港町が栄える。三津(坊津、博多、安濃津)、七湊(日本海側の十三湊など)という言葉がある。
近江の菅浦のような村落も力をつけて、武力も持つようになる。同時に根来寺、平泉寺などの宗教都市も武力を持つ。

中世は竹の時代とも著者は書いている。

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