「分裂から天下統一へ」 村井章介 著

これは岩波新書の中のシリーズ日本中世史というシリーズの④である。戦国時代から信長、秀吉、家康の統一政権ができるまでを扱っている。一番の激動の時期であるが、他の歴史書と違い、この時期の群雄やその戦いなどは取り上げない。世界史的な視点で外交とそれに影響を与えた事物に焦点を当てている。そういう面では面白いのだが、学術的であり、読みやすい本ではない。

第1章では、室町将軍家の分裂と室町外交(勘合貿易をめぐって細川家と大内家が争う状況)を書き、その中で琉球王国、アイヌのことに触れている。
第2章は「銀と鉄砲とキリスト教」として、外との関連が大切な事物のことを書き、その中で倭寇の活躍と言うか跳梁を述べている。
第3章は「天下統一から世界制覇へ」として、秀吉の朝鮮出兵に至るまでを簡単に書き、第4章「十六世紀末の大東亜戦争」として朝鮮出兵を詳しく書いている。最期の第5章は「江戸開府と国際関係の再建」として秀吉の外征の後始末として徳川幕府なりの外交を構築していくところを書いている。

以下は私が新しく学んだことをメモしていく。
戦国大名は領国全体に一律に検地を出来たのではなく、特に元は朋輩である国人領主の土地は検地できなかったとある。そして北条氏は田なら反別500文、畑なら反別165文を基準の貫高制であった。

銅銭は中国銭を使っていたが、1枚1文だが、中国王朝の信用保証によっていた。しかし15世紀になると中国では租税を全て銀納とする一条鞭法が普及し、基準が銭から銀に移行していく。そこで銅銭は個別に撰銭されるようになる。一方で銀が大切になり、日本との貿易が重要となる。

戦国時代は分国になり、その分、大名同士の通信は大事になり、その書状の運び手として山伏が重宝される。またどこの国にも属していないということで唐人も使われた。

琉球は15世紀半ば過ぎまでの第一尚氏王朝の時は大きな勢力を持っていた。九州の大名も交易上の利から従属するような関係だった。それが東シナ海において、倭人勢力の進展、ポルトガル人の進出、明の海禁政策の緩みで中国人の進出で浸食されてくる。
島津氏が秀吉に降り、琉球は島津氏の下にされた。ただ琉球は自主外交も行い、明に秀吉の朝鮮出兵も通告する。

種子島は砂鉄も採れ、熱源となる木材も多い、刀鍛冶もおり、また海の道の要でもあり鉄砲伝来の地にふさわしい。

ザビエルは倭寇の密貿易ルートに乗ってジャンクで日本に来航したのだろう。

キリスト教、南蛮貿易はキリスト教の浸透を抑制しながら貿易の利をとる大名と、大名自身が信徒になる方法があった。1587年に信徒20万、1600年前後はイエズス会の信徒だけで30万、1614年には50万に達した。

石見銀山は17世紀前半の最盛期は、8000貫から一万貫(3.2万~4万キログラム)の算出量になり、日本全体では4万~5万貫で、これは全世界の銀生産高の三分の一。最盛期には20万人がいた。中国が銀を欲した。

秀吉は国内の感覚の延長で朝鮮出兵を行う。朝鮮戦線では小西行長路線と加藤清正路線の対立があり、小西行長は講和を考えるが清正はそれに反対。降倭(降伏した日本人)を使って清正を暗殺する計画もあった。この計画は朝鮮も関与していて、それを信じずに日本の罠と思った李舜臣が失脚するきっかけにもなる。

次の徳川家康政権は朝鮮との修好を望み、対馬の宗氏が国書を改竄してなんとかなる。明はダメであり、民間貿易に頼る。朱印船貿易もその一つ。
琉球は島津氏、蝦夷は松前氏が管轄し、中国とオランダが長崎で幕府直轄となる。

秀吉が明に対して思った感情を北方にいたヌルハチも抱き、彼は明を滅ぼし、清を建国する。





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