「佐高信の昭和史」 佐高信 著

この本は時系列を追ったり、事件を中心に記述する形体でなくて、著者の一貫した主張であるところの「政府や権威筋はウソをつくことがある。それに騙されないようにしなければいけない」ということを強調している。確かに歴史を学ぶと、残されている文書は勝った方に都合の良いものという面がある。

以下のような章立てで記述されていく。
「疑念を持って歴史を見つめる視点」「銀行を潰したのは誰だ?」「なぜ軍国主義に染まっていったのか」「なぜ「世界の孤児」へと暴走したのか」「時流に媚びない人たち」「戦争協力と戦争責任を考える」「つくられた終戦記念日」「戦後を牽引したニッポンの会社の裏側」「労働組合は何をしてきたか」「社会党はなぜダメになったのか」「創価学会はなぜ現代のタブーになったのか」「組織・社会とどう関わっていくか」という章立てになっている。

あと、この本の特色は、歴史の当事者と同じ年に生まれた世界・日本の著名人を挙げていることだ。何となく時代の空気がわかる気がする。

まず、戦時中は騙されていたと平気で言う人間は、再び騙されるという伊丹万作(映画監督)の文章を引用している。

イギリスの歴史学者E・H・カーは、歴史史料は完全なる客観性はありえないから、読み手はその人の主観性がどこに出ているかをきちんと見極める必要があると書いているようだ。

「銀行を潰したのは誰だ?」は、昭和2年に起きた金融恐慌(これは震災手形の発行と、それに紛れ込ませた不良手形の処理が大きいのだが)のきっかけとなった東京渡辺銀行の倒産劇を検証している。時の大蔵大臣の失言からはじまるのだが、失言の背景に大蔵省役人の姿勢を指摘している。金融恐慌の結果として財閥系銀行は膨らんでいる。

「なぜ軍国主義に染まっていったのか」では当時、日米もし戦わばという小説が売れていたことを書く。恐慌、不景気、農村の疲弊は時の資本主義にも影響があったと農民も軍部も思っていたこと、これが国民が軍を支持した面もあったと暗示している。

「なぜ「世界の孤児」へと暴走したのか」では、奉天の柳条湖での線路爆破事件という軍の自作自演の事件から中央のコントロ-ルがきかずに軍部が独走したが、これは石原莞爾と板垣征四郎の策略と書く。

「時流に媚びない人たち」では石橋湛山を取り上げ、彼の「日本人は動機主義で動き、結果がどうなるかを考えない」という言葉を紹介している。穂積五一という真にアジアからの留学生を応援した人を紹介している。桐生悠々というジャーナリスト、川柳作家の鶴彬、それに軍歌を歌わなかった淡谷のり子を時流に媚びない人として紹介している。

「戦争協力と戦争責任を考える」では当時の隣組制度が結果として住民相互監視制度であったことを書く。音楽も思想統制に使われ、西条八十は「同期の桜」など軍歌を作詞している。そして古関裕而は「露営の歌」「若鷲の歌」などの軍歌、高校野球の歌、「長崎の鐘」、「六甲おろし」など見境無しに作曲している人物だと批判的である。

「つくられた終戦記念日」は諸外国の戦争終結の日との違いを明らかにしている。このような記念日も国の作為の結果という面があることを書いている。

以降は戦後の話である。「戦後を牽引したニッポンの会社の裏側」ではサラリーマンを社畜と読んで評論したのが佐高信だから、こうなった原因を、「労働組合は何をしてきたか」も含めて書いている。日教組は教育面のことではなく、結局は自分達の給料を上げるような活動を一生懸命していたとする。

「社会党はなぜダメになったのか」では浅沼稲次郎や土井たか子の人間としての魅力、また江田三郎が提案した路線の時に現実的野党になる機会があったが、その路線は否定され、先細りになっていったと説く。

「創価学会はなぜ現代のタブーになったのか」では、創価学会は他の宗教と違って欲望の肯定から出発している。そして大手新聞社に広告を出す中で、新聞社が批判できないように追いやった。官界にも創価学会のシンパのネットワークを張っていることを書いている。

「組織・社会とどう関わっていくか」では道徳教育などは「これを信じなさい」という教育だからダメと言う。また協調を重視して個を潰す。まじめもほどほどに、軽やかに笑って怒れと書いている。





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