「なぜ、地形と地理がわかると江戸時代がこんなに面白くなるのか」 大石学監修

軽く読める本だが、認識を新たにするところもあった。この本で「なるほど」と思ったのは、家康が入る前、江戸はある程度栄えていたということが研究が進んでわかってきたということだ。家康に江戸が良いと秀吉が勧めたとか、家康の先見の明で選んだとかの言い伝えがあるが、当時は芦原が覆っていた寒村的なイメージなどがこれまでの説だが、確かにある程度の便利さが認識されていたから、小田原ではなく江戸に定められたのだろう。

キリシタン信者の約8割が九州(天正18年で豊後を除く九州が16万人、豊後が3万人、都周辺が5万人)というのも改めて数値で言われると認識を新たにする。
関門海峡は800メートルの幅であり、そこを外国船が通過するのを見ることで、長州藩が砲撃を加えたと書いてあるが、このような視覚のしからしめるところもあったと思う。

江戸の御府内は、幕府役人たちの出張費をどこから支払うかの基準が無かったのでそれを定めたとある。絵図に朱引で御府内と定め、内側には墨引も引かれ、その範囲が町奉行の支配範囲だったとある。朱引は南は目黒川、西は代々木、上落合、長崎、北は石神井川、そして東は中川という範囲だった。

青梅街道は石灰を運ぶための道路として出来た。この街道と周辺の河川の港との関係も図示してあるとわかりやすい。

江戸の発展の歴史=江戸湾の埋め立ての歴史、それも後期にはゴミの埋め立てというのもなるほどである。

吉原の日本堤は遊郭通いの人が踏み固めることを狙ったとの説が一つにあるそうである。

江戸における幕末期の外国の公使館の位置が、こうして図示して説明されると納得する。要は横浜とのアクセス、それに警備の都合から寺社ということである。

この外、箱根越えは一日の行程で1400メートルほどを上り、それを下るような場所で、大変なところだと認識されていたというのもなるほどである。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック