「白い道」 吉村昭 著

吉村昭のエッセイ集である。自身の戦争中の体験記がいくつか収録されている。当時、彼は日暮里にいた。そこで凧上げをしている時に、はじめて東京の空に飛来したドゥリットルのB25を目撃する。そのほか、戦争中の人心の変化、尾竹橋から川の死体を何の感懐もなく眺めていたこと、空襲の時に炎上する炎を見た時の気持ち、2度も肺結核をしたのに第一乙種で徴兵検査に受かったこと、終戦の時は浦安にいたそうだが、玉音放送の時の状況、そしてこの時の光景が空も道も白っぽいことた感じたそうだ。これがこの本全体のタイトル「白い道」になっている。

そして、ある時から戦争についての小説を書くようになる。「戦艦武蔵」がきっかけである。その後、「深海の使者」を最期にやめる。それは、何冊か書き進むうちに、証言してくれる人がどんんどん亡くなっていくことに気が付いた為と書いてある。

その後、歴史小説を書いていく。史料は少ないが、断片的な史料から、その人物の生き生きとした仕草を書いていくことを、例を上げて書いている。どこかで講演をした内容なのか、いくつか所載されている。
まず「冬の鷹」(前野良沢の話)を書き、医家もの、逃亡者もの、それから幕府側の知られていない偉人、あるいは明治期、日露戦争時の偉人について書いている。

具体的には「彦九郎山河」で高山彦九郎、「落日の宴」の川路聖謨、「ポーツマスの旗」の小村寿太郎、脚気の原因を突き止めた高木兼寛のこと、「暁の旅人」の医師松本良順のことなどである。

吉村昭は、宇和島が好きな町の一つ(他は長崎、札幌)とのことで、宇和島藩の伊達宗城(幕末の四賢候の一人)の優れたことを書いている。この地を舞台に「ふぉん・「しいほるとの娘」を書いている。そして当時の宇和島は長州からも薩摩からも近いと書いており、なるほどと思う。
またアーネスト・サトウの記録には宇和島藩士の銃砲の訓練が行き届いたことが書いてあるそうだ。髙野長英、村田蔵六、佐藤信淵が宇和島に来ている。吉村昭は宇和島は排他性がみられない町と書いている。
ただ、明治維新になると、薩長の動きに伊達宗城は嫌悪感をいだく。そして藩全体が藩主を尊敬していた宇和島藩としては、新政府と距離を置いていく。

長崎のことも書いている。出島の形が扇形というのはなにか文明をひろく導き入れる意欲を示しているように思えると書いてある。

また昔の江戸の風情や、著者の故郷日暮里のことにも触れている。

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