「戦国武将の収支決算」 跡部蛮 著

この本は、戦国時代の所領の概念や、その所領を持つ地侍の実態や、それまでの地侍の所領を統一した基準で洗い直した太閤検地のことや、織田信長の社会経済政策へのコメント、小田原北条家の家臣の所領ことなどが書かれている。読み難いところもあり、全てを理解できていないが、次のような話は参考になる。

室町時代、戦国時代は同じ土地に対して、領主的占有者、地主的占有者、農民的占有者がいた。農民的占有者とは農地を耕作する農民、すなわち百姓の耕作権である。

当時の土地の証文は売券として大切に所持されていた。いわば土地の権利証である。これは権威のあるところに保管されていたのではなく、各人が大切に保管していた。そして、自分の権利は自分で証明しなければならなかった。売券には手継証文として、土地が売買された時に次から次へと引き継がれていく証文が継ぎ足されることがあった。

土地の米収穫量から土地を耕す農民の家族全員が生活していく為の費用や来年の為の苗の費用などを引いた残りが純利益として、収納高と定められている。これが斗代として売券に記されている。農民が工夫して多くを生産しても斗代は一定であり、それは農民の利益となったわけである。

そして斗代は、公方、公事米、反銭、方違、定得分に分けられる。公方とは公儀であり、室町時代には荘園領主となる。公事米も荘園領主のものとなる。
反銭(段銭)は守護大名や戦国大名がとる。方違とは,陰陽道の方角禁忌の風習で、この為の費用という意味で地主=地侍がとる。定得分も地主=地侍の取り分である。

一つの例として、合計1石5斗の収納高に対して、公方=1斗8升、公事米=2斗、反線(段銭)=2斗、方違=2升、定得分=9斗という内訳が提示されている。
公方、公事米が荘園領主だと3斗8升、反銭(段銭)が2斗で守護大名、方違と定得分が地侍で9斗2升ということになる。
根来などは、庄園領主が根来寺、守護大名が根来寺末社、そして地侍。根来では、ここの地侍は鉄砲集団として共和国のようになっていた。ちなみに根来衆は秀吉が家康と小牧長久手で戦っている時に、大坂に侵入し、秀吉の怒りを買い、滅ぼされる。

太閤検地は、地侍が取っていた分も、秀吉と大名が取るようにしたものだ。農民は自分が公儀に年貢を納めるようになり、地侍は大名の家臣として大名から知行を受けるように変化していったわけである。

このように目新しい視点が紹介されている。





地侍たちは、この外に、味噌や酒などを製造する権利ももって製造業もやっていた。、

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