「歌川広重」 アデーレ・シュロンブス 著

この本はウィスコンシン大学付属のチェイゼン美術館の浮世絵コレクションをもとに、書かれた本である。著者の詳しい説明は無いが、そこの学芸員なのであろうか。

広重の多くの浮世絵をもとに、広重の画業を紹介している。翻訳文も読みやすく、図版もきれいである。ただ、本の構成が日本人の私からは、ちょっととまどうようなところがあるが、流れに乗って読んでいけば問題はなく、参考になった。

本文の最後に「広重は西洋の芸術史の規範に受け入れられた例外的な東アジアの芸術家であり、その革命的な創造力は時代や地域をはるかに越え、その名前は世界の芸術史のなかに刻み込まれている」とある。
確かに日本人が美術史には載らないが、広重、北斎、写楽などの浮世絵は印象派に影響を与えた美術として、世界の美術史に組み込まれている。

著者も広重に惚れ込んでいる感じで筆は進む。

フェノロサは広重を「霧と雪と雨の芸術家」と形容し、光と影、気象の変化と結びついた主観的な心情を表出する可能性を知らしめた画家ととらえている。
同時に、人物や事物、そして大気の一瞬の動きを表現するまったく独自の手法を広重が示していたことも無視しえない点とも書いている。

ビュルティが1872年に発表した論文で「ジャポニズム」という題をつけた。広重の衝撃的な構図や、光と影の織りなす一瞬の空気が、安定した空間の中でもがいていた芸術家に受け入れられた。

印象派のマネは、浮世絵から得た表現方法を試み、当時の人から顰蹙を買い、それをエミール・ゾラが擁護している。
モネも、広重などに学んで、特定の景色を主題としてシリーズを制作している。そして変化する光と影の効果と、それによって生じる大気の印象を描いている。
ゴッホはビングが開いた東洋美術専門店の屋根裏で浮世絵を100万枚見たとテオに手紙で書き、名所江戸百景の亀戸梅屋敷、おおはし安宅の夕立を模写している。タンギー爺さんの背景にも浮世絵を入れている。
ドガも多くの浮世絵を収集し、対象の一部を切り取ったような画面、均整を崩した構図などの影響を受けている。

広重は、晩年は琳派の影響も受けて、装飾的な絵もある。また漫画を先駆するような戯画もある。

広重も西洋の銅販画からの影響(ハッチングによる陰影の表現)や、一点透視図法を受け入れ、輸入されたプルシャンブルーの色(彩度が高く、透明度も高い)を愛した。

一方で伝統的な鳥瞰図方式、絵巻物のような様式、平面的な画面構成の絵も描いている。また、当時の医学、博物学、動物学、地理学の成果も広重は取り入れている。

広重のような風景画が受け入れられたのは、町民の購買力の増加、など都市文化の発達も大きい。旅も日常化されて、名所見物も含めて,寺社参詣に人が出向いた時代なのである。このような時代が実景の風景版画を求めていたとも言える。

広重は構想の豊かさを持ち、従来取り上げられなかった画題、自然をありのままの姿でとらえる。理想化されたものではないものを絵として描いた。

なお、浮世絵は絵師の広重だけでなく、当時の彫師、摺師の技術も広重の芸術を支えていた。


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