「オランダ風説書」 松方冬子 著

オランダ風説書とは、江戸時代に通商があったオランダから幕府に提出された世界情勢の報告書である。初期はカトリックの侵入を防ぐ為のカトリック諸国の情報入手だったが、後には西洋近代の脅威を知るための情報入手になり、特にアヘン戦争の時は情報が重視された。

通常の風説書は1641年(寛永18)から1857(安政4)まで出され、別段風説書は1840(天保11)から1857年まで作られる。

通常の風説書では正本は1797(寛政9)年のが残っている。通常の風説書は年に1通か2通、最大で年に6通、オランダ船の次期商館長の船が着くと、必ず作成されたようだ。1715年以降は商館長の任期が5年になり、風説書の数は減る。
オランダ側に原文があるのではなく、通詞が話を聞いて、作成したようだ。下書きを作り、通詞たちが相談して加除修正する。奉行に内々の指示を仰ぐ。指示が無いのが普通だが、その後に清書して江戸に送られる。この時に商館長が署名する。

17世紀はオランダの東インド会社はアジアで覇権を握っていた。18世紀半ばまではオランダの地位がなんとかイギリスに対抗していた。そして、特に波風が立つような世界情勢の変化も無く、オランダ風説書の情報が唯一のものだった。
1780年には第4次英蘭戦争が勃発し、以降、ヨーロッパではオランダの地位が落ちていく。
そして19世紀になると、欧米の船舶が中国から日本に出航でき、蒸気船も導入され、不定期な情報提供が多くなり、通常の風説書は役割を終える。

アヘン戦争が勃発し、そこから別段風説書がオランダ領東インド総督の命で作成される。バタビアで作成されたのである。激変する政治情勢などが書かれていて、またバタビアでオランダ側だけで作られたから、これの訳が大変だったようだ。
別段風説書の中にペリーの来航を予告したものがあり、有名である。

通詞が役得で、この中の一部を懇意の大名に流すこともあった。そして時に通詞が罰せられる。通詞にとっても色々な役得があり、オランダとの貿易が続くことは大事だった。

オランダ風説書の役割として、著者は、オランダからの「ささやき」=他国への悪口でもあったとする。

これは、この本からではないが、オランダ風説書は幕府独占ではなく、色々なルートから漏れていて、蘭学者などはこの情報から世界情勢を把握していたと読んだことがある。


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