「日本の歴史十三 幕末から明治前期 文明国をめざして」 牧原憲夫著

小学館の日本の歴史シリーズの一冊で、幕末から明治前期を取り上げている。従来の歴史書では、この時代は戊辰戦争や士族の反乱、西南戦争に多くの紙面が使われるが、この本では、そられについてはほとんど触れておらず、珍しい。日本国民の意識の変化を探っていくような歴史書で、それはそれで興味深い。

西洋でも、昔は手で食べていたのが、宮廷でナイフとフォークになったのは17世紀になってから。それがだんだんと中流階層にまで広がる。このようなことが文明と認識されて、自分達は文明国の人間だとして、非文明の国に優越感をいだくようになる。
日本は明治になって西洋文明を受け入れるが、西洋への劣等感が朝鮮・清に対しては優越感に変わり、西洋人と同様に黒人蔑視につながる感情を育て行く様子などもわかる。

日本に来た外国人は裸体の者の多さに呆れる。文明国を目指す明治政府は裸体風俗を取り締まる。

江戸末期、庶民は外国人に嫌悪感を抱いていたばかりではない。水戸藩の海岸線では捕鯨船と漁民が交流していた。外国人との交流を禁止されると、藩の役人に喰ってかかったように、漁民にとって外国人は親切だったと認識されていた。しかし開国してからは悪徳商人も来る。

征韓論、台湾出兵については、これらめぐる様々な意見を紹介されており、興味のある人にとっては参考になるだろう。
琉球問題、アイヌ問題についても述べている。琉球は日本に圧迫されたので、清に期待していたが日清戦争で諦めた。アイヌに対しては姓を日本式にしろとか、後に朝鮮で行ったことと同様なことをやっている。アイヌ、琉球に対して、幕末に日本に来た欧米の程度の悪い一旗組と同様な者が入り込み、民衆の反感を買う。朝鮮に対しても日本からろくでもない人間が出向き、迷惑をかける。幕末に日本に来たろくでもない西洋人と同じ。

幕末の戦争では、旧来の士族とその兵装は役に立たず、近代式の銃と集団戦法での歩兵が役立つ。彼らは一種の傭兵である。幕府もこれに頼り、その戦死者を増上寺で法要する。

幕末に通商がはじまると、貨幣の交換比率が欧米と比べて不利で、金が流出し、その対策で貨幣の改鋳が行われたり、輸出(生糸)の増加で物不足、インフレになる。これで政情不安となる。

政情不安の要因はインフレだけでなく、嘉永6年に小田原大地震、翌嘉永7年には伊賀上野大地震、東海大地震、翌日に南海大地震がおこる。翌年には安政大地震が江戸を襲う。
暴風雨も多かった。そして安政5年にはコレラが襲う。次は文久2年に麻疹が大流行する。

庶民の間で「ええじゃないか」などの騒動もおこる。

幕府が幕末に行った政策が、結果として明治政府に引き継がれる。朝鮮征伐的な政策もロシア船が対馬に租借を要求し、イギリスの力でロシアを追い払ったが、その時、ロシアは対馬に行くと言い、対馬藩は幕府に列強に先んじて朝鮮との通商を要求すべきと語るなど、後の征韓論につながる議論は出ていた。

戊辰戦争では双方ともに無法な分捕り、虐殺を行う。那須三斗小屋宿の悲劇はよく知られている。

明治維新の版籍奉還、廃藩置県などは欧米でも考えられないような支配者の権力基盤を奪う改革だが、この実施における西郷隆盛の役割は大きかったと書いている。この改革は流血騒ぎにならなかったが、本当に凄いことだと私は思う。
新政府は政府内部の対立、民衆の一揆、士族反対派の攻撃、公儀による改革を目指す非薩長勢力からの異論と大変だった。

神仏分離などの宗教政策も難儀なこと。復古神道による宗教改革であった。神道となると土葬だが、土地の制約と衛生面から火葬になっていく。浄土真宗以外には火葬の風習は一般的でなく、大きな変更だった。

江戸時代の身分制は、それに伴う生業=役の負担と特権からなっていたが、身分制が明治になってなくなり、百姓もやりたくない軍役が必要となる。当初は、軍役は長男になれば徴兵されないので、分家が多くなる。また鉱山や漁業に潜りこんで軍役を逃れる。
非人は皮革業、獄吏など、いわば清めに関する仕事(儲かることも多い)をしていたが、非人身分が無くなると、それで混乱も生ずる。

明治維新で一番メリットを受けたのは、農民における大地主である。それが戦前の小作農の問題につながり、それが解消されたのは戦後の農地解放である。

政府を批判する自由民権運動の演説は面白かった。だから多くの聴衆を集めた。民権派のおかげで民衆に愛国心や天皇が浸透した面もある。

当初は学校をまともに卒業する人は少なかったが、試験で学業成績を競わせ、学校ごとに対抗するなどで村としての対抗心が出る。身分社会から学歴社会に移る。学歴社会は平等と自発性を前提とする。明治20年にはコネでなく試験による官吏任用試験が定められる。代言人(弁護士)や医師などの資格試験制度が導入される。

日本は江戸末期から子どもは大事にされていた。それは単婚小家族が一般的だったためである。

日本では娼婦は個人の責任ではなく親・兄弟の為に売られたとの意識があり、年季が明ければ積極的に妻に迎えるということも少なくなかった。また遊女の遊芸が女性の教養とも見なされる。一方、欧米では娼婦になるのは個人の責任・資質。

幕末、明治初期は共働きであり、妻も生活力があり、離婚が多かったが、民法は枠をはめて女性からの離婚をできにくくした。

議会は多額納税者の男性約45万人が有権者となる。この人達が公民。その他は住民。それが国家と一体感を持たせるようになったのは臣民=天皇の赤子という意識。日清戦争で民衆ナショナリズムが浸透する。





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