「岩倉使節団という冒険」泉三郎 著

i明治初期の遣欧使節団のことは興味を持っていた。革命をやったばかりの首脳が揃って外国に視察に行くというのは凄いことだと思う。
この本は、面白かったが、元の記録は同行した久米邦武の『米欧回覧実記』のようだ。時々引用しているが、的確な観察で、一度原本を読んでみたいと思わせるものだ。久米は佐賀藩出身で記録係として随行している。

明治維新後に、国家の重要人物が揃って明治4年11月に出航した。岩倉具視、木戸孝允、大久保利通に、伊藤博文など使節の一行だけでなく、随行の留学生や付き人を含めると107人。津田梅子などの日本の女子留学生5人も同行している。

岩倉は安政5年に「神州万歳策」なる建言書を提出。そこで米国との通商条約締結の必要性を認めつつも、その前に欧米諸国に調査使節団を派遣することを提案しているようだ。
岩倉具視は下級公家だが、太閤鷹司政通に接近して歌道の弟子として接近して認められていく。この後、岩倉は失脚して5年ほど閉居する。

明治4年の遣欧使節は大隈重信の発案という。明治5年に条約改正の期限が来ることから、これを機会に使節を派遣して、各国の事情を調査して改正の準備をすべきとした。フルベッキに案を作らせていた。

当時の若手の開明派はアラビア馬と言われていた。伊藤博文、大隈重信、井上馨などである。

行く先々で大歓迎を受けるが、サンフランシスコではエレベーターに乗って肝を冷やすと同時に、それを楽しんでいる。ワシントンに向かう車中で、平原にインディアンを見かけ、先住民が虐げられている状況にも久米は気がついている。
大陸横断鉄道や、都市文明なども結局は人の力による開拓の結果であることを認識して、文明開化とは人の力=教育の大切と感じ、気がついているのはさすがである。

ワシントンで、この場で条約改正をしようと言う気運が起きて、大久保と伊藤が本国に戻って許可を得たりしていることを知る。結果として時期尚早となるのだが。

アメリカ人のモラルの原点がキリスト教にあることを改めて認識している。佐々木高行は日本は神道を基礎として孔孟の道が大事と書いている。また女尊男卑のような風潮に驚いている。

英国に行くと、日本の旧大名の若君などの留学生が挨拶に来る。明治6年の文部省の調べで、当時海外には373人(官費250人)もいたことが記されている。このようなこともはじめて知る。日本人の特性の一つだと思う。

英国では工場に驚いている。分業がポイントであることも学ぶ。炭坑にも入って採掘現場も観ている。そして英国で鉄道の重要性を知る。
英国では怪しげな銀行にひっかかり大損する随行員も出るというハプニングにも出くわす。

ここで西洋の繁栄も40年前からだと知る。日本と大きな差があるようだが、40年の差だったのだ。

パリではフランス銀行の金庫の中をみせてもらって、フランスの底力を認識している。国民の間で、英国ほどは貧富の差が少ないことを観察している。
ベルギーは小国だが、国民が武に関心を持っている。オランダでは海洋進出のことを記している。ドイツではビスマルクから西洋の弱肉強食のことを聞く。万国公法とは別の西洋の論理を学ぶ。ドイツは農業が基本で、日本と似ており、学ぶ対象かと感じている。

ここで大久保は本隊と別れて日本に帰国する。

一行はロシアに向かう。ここでは皇帝が政治だけでなく、宗教上の権威でもあり、人民は農奴のような状況を知る。それまでは世界一の強国はロシアと思っていたのを改める。

デンマーク、スエーデンに向かう。そしてイタリアに出向き、西洋文明の源流がここにあるのを知る。オーストリアでウィーンの万国博覧会を観てスイスに行く。スイスの武勇と精密機械工業を観る。

マルセイユからスエズ運河を経て帰国する。スエズ運河も4年前に完成したばかり。

アジアでは欧米が植民地でアジアの民を支配しているところを観る。イギリス人は巧妙に現地人を手なずけて植民地経営を行い、スペイン人、ポルトガル人、オランダは暴慢残酷に接する姿を観察している。



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