「徹底検証 日清・日露戦争」 半藤一利、秦郁彦、原剛、松本健一、戸高一成 著

座談会形式で、標記のテーマについて論じたものを編集したものである。これを読むと、改めて司馬遼太郎の「坂の上の雲」の影響力の大きさが理解できる。それぞれに、この分野では一流の研究者だと思うが、「坂の上の雲」の記述などを引用したり、反証したりしている。

日清戦争は、外相の陸奥宗光と参謀本部次長の川上操六、朝鮮公使の大鳥圭介が主戦派で、あとは反対だったようだ。民族精神が高揚すると自然に膨張主義になると秦氏が述べているが、そういうものであろう。今の中国も同様だろう。

川上操六は、軍事で高く評価されているが、プロシャで兵学を学び、先制攻撃と諜報活動を重んじたようだ。この考え方が、後の日露戦争での明石大佐の諜報活動にもつながる。

清の軍隊の大将は、教養のある立派な人物が多かったようだが、兵は国民としての義務感が一切無く、それを統率する部隊も、それそれ私兵のような形態であり、日本に負けた。日本が勝ったというよりは、中国が勝手に負けたのが日清戦争。日本は、この戦争で多額な賠償金を得た。

面白いのは、日清戦争のヒーローはラッパ卒の木口小平、白神源次郎、玄武門一番乗りの原田重吉、黄海海戦の三浦虎次郎と、それぞれが一兵卒。
これが日露戦争になると広瀬中佐、橘周太少佐と上級士官になる。すなわち日清戦争は民衆の戦い。日清戦争で死んだ庶民の墓は概して大きいと言う。

日清戦争の頃から、日本軍の兵站軽視、補給軽視、その結果として現地調達の悪弊が日本にはあった。

日露戦争では、その前の日英同盟が大きい。日本は英国から多くの軍艦を買っていた。日本は13.8万トンの購入、2位がチリで2.7万トンであり、群を抜いた得意先であった。今、イギリスが中国に肩入れしているが、昔から得意先を大事にした商売人の国なのだ。

駐英公使の林董の貢献、それから諜報の明石元二郎(当時で百万円、今で600億円を使う)の活躍。それを支えた長岡外史。資金調達役の高橋是清、日本国債を買ってくれたジェイコブ・シフ。講和の段階での金子堅太郎などの力も大きい。
加えて、戦争をやっていた児玉源太郎なども、いつ戦争を終わらすのかを常に考えて戦っていた。

日露戦争の反対者は伊藤博文。最後はシベリア鉄道が全部開通する前に開戦しようということで開戦。太平洋戦争でも軍艦比がこれ以上拡大しない今がチャンスだから開戦しようと言う発想は同じである。

旅順港のロシア軍艦を外に出さないという戦略を徹底するならば、機雷で封鎖することを、もっとはじめに考えていれば、陸軍の旅順攻略戦の位置づけも変わった。

陸戦では、ロシア軍の退却戦の伝統(ナポレオン戦争時)で、何度も助けられたことが記されている。そのおかげで負けなかったというか、勝ったと対外的には宣伝ができた。

黄海海戦で丁字戦法の弱点、すなわち相手が逃げるとなると、つかまえられない欠点が明らかになる。それで日本海海戦で修正できた。

マカロフ提督の船が機雷で爆発して死ぬとか、黄海海戦で三笠の一弾が敵の旗艦の司令塔を吹っ飛ばすなどのツキもあった。だから当事者の秋山真之は天佑神助を意識し、戦後、宗教・神霊の研究にのめり込み、大本教に入信する。秋山のライバルの佐藤鉄太郎も日蓮宗の熱心な信者となる。
一方、高級軍人は陸軍65人、海軍35人、文官31人が爵位をもらうという大盤振る舞いを受ける。

日露戦争の頃は捕虜になっても問題は無かったが、日本に帰国してからは、同じ地域の誰それは戦死したのにという眼が冷たく、転居することも多い。これで太平洋戦争の時には捕虜になるくらいなら死ねとなる。当時の日本軍のロシアの捕虜への待遇は非常に立派で、マツヤマ(松山の収容所)の印象は良かった。

下瀬火薬は喧伝されているが、欠点もあり、自爆しやすかった。
日本海海戦では水雷攻撃も考えていたが、波が荒くて断念。それで「天気晴朗なれども」となる。普通ならば「なれども」はいらない。

鈴木貫太郎は終戦時の総理大臣として、日本を救うのだが、日清、日露の戦争でも海軍軍人として手柄を立てていることを知る。



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