「日本の歴史 別巻 日本文化の原型」 青木美智男著

小学館の日本の歴史シリーズの別巻として刊行された本である。「近世庶民文化史 日本文化の原型」とタイトルが付けられている。別巻と言っても薄い本ではなく、他のシリーズと同等以上の頁があり、読みごたえはある。なかなか意欲的な本で興味深い内容であり、折に触れて再読したい本である。先人の引用に当たっては「○○さんの研究では」という表現であり、新鮮である。

次のような章立てになっている。「プロローグ 無事と士農工商の世」、「第1章 ねぐらから住まいへ」、「第2章 暮らしを潤す」、「第3章 学ぶ、知る」、「第4章 文具をつくる、文を書く」、「第5章 知と美を広める」、「第6章 食べる、着る」、「第7章 浮世の楽しみ」、「第8章 旅への誘い」、「エピローグ 『ごんぎつね』と環境歴史学」

プロローグで、江戸時代になって平和な時代になったことのありがたさを、書いている書を紹介している。平和だから文化が進んだ面はある。農村にも商品化経済が押し寄せ、貧富の格差が生まれ、貧しい方は都市に流れ込む。江戸でできる仕事は限られているが、百姓仕事よりは楽と、その日暮らしで過ごす。安い地回りの産物が売れるようになる。そしてこのような野暮が花を咲かせたのが化政文化と書く。

この時代の文書には「働く」という文字が出てこない。それは「働くこと」が身分制のもとで当たり前のことだったからである。商いに専念、耕作をおろそかにするなと書かれている。

身分制の中で受け継いだ家職の経営規模の拡大をはかっていたのが江戸時代。こうして、目的制の強い人間を生み出す。家運の上昇が人生最大の目標、家職の発展が大事であり、その為に読み書き算盤の知識が必要となる。

こうして江戸時代は、民間に知力と経済力が蓄積される。科挙によってすぐれた人材を中央に引き上げた中国、朝鮮などの国は、守旧勢力の強さから古い体制を内部から瓦解させるのが難しかったと言える。

「第1章 ねぐらから住まいへ」には、承応3年(1654)に作成された信濃国佐久郡原村の人別帳に住まいの状況を引用しているが、村内27戸の内、本屋が礎石式の家屋は2軒だけで、あとは全部掘立式であることを記している。
掘立式の住居は狭く、大きくても15、16坪である。
佐久郡八満村の小林四郎左衛門正美が著した『きりもくさ』で文化・文政から幕末までの55年間を記しているが、その中でも「往古の家は掘立というて」と書いている。往古といっても寛政の頃である。藁をたくさん敷いて、そこの土間に藁を敷いて、寝るだけの家。すなわち「ねぐら」だった。

それが、文化・文政期以降は養蚕と生糸業が広まり、急速に豊かになる。だから蚕は「お蚕様」となる。出羽国村山郡谷地町周辺では紅花生産で豊かになる。

「第2章 暮らしを潤す」では、家ができると「文晁さんでも飾ろうか」と言う気分が生まれてくることが記されている。久隅守景は田園風俗画、英一蝶は都市風俗画をはじめて描いた画家。浮世絵版画も大きな役割を果たすことになる。

「第3章 学ぶ、知る」、「第4章 文具をつくる、文を書く」では、江戸時代の人の読み書き算盤の能力について記している。ともかく江戸期に日本に来た外国人は日本人庶民の国語能力に驚嘆している。その為の紙、筆、墨などの文房具のことも書いている。
話し言葉は各地方で様々だが、書き言葉は日本国内では共通であった。寺子屋のテキストは『庭訓往来』が多い。これは字と同時に、生活規範を教えるものだ。

紙は漉き方、混入物で檀紙、杉原紙、鳥の子紙、奉書紙、美濃紙などがある。奉書は楮を原料にする。筆は熊野筆。奈良が産地。矢竹に恵まれた摂津有馬でも造られる。墨は大和の古梅園、硯は端渓だが、赤間石、雨端石などが作られ、そろばんは大津そろばん、播州そろばんが有名になる。

「第5章 知と美を広める」では、出版業のことだ。当初は京都が中心地で、慶長3年から元禄16年で全国で1171の内、京都が701の書林板元(出版社)だった。幕府や寺院、ある特定の学派と関係をもって経営を発展させる。
それから元禄期は大阪が中心となる。宝永から天明の頃に江戸が発展する。寛政元年から慶応4年までの80年間で、書林板元の創業は全国で2322、、その「内」の40%hが江戸である。

これら三都書物屋が他を圧倒する。
綱吉は幕府批判の書を弾圧した。「馬のものいひ」という本は弾圧され、現物はまだ出てこない。
享保の改革では、書物問屋仲間を組織させ、統制する。

江戸では貸本屋も隆盛になる。

江戸の寛政期頃の「本朝近世画工鑑」に東は呉春、池大雅、西は山口雪渓、蕪村、百川、谷文晁、長沢蘆雪、伊藤若冲、次ぎが曽我蕭白とリストアップされており、伊藤若冲などは当時から評価されていたわけだ。なお円山応挙は番付では差添人と別格になっている。

「第6章 食べる、着る」では、文化3年の火事のあとに江戸では食い物屋が多くなると記されている。文化元年では江戸市中全体で6165軒の食べ物屋が、文化7年には7663軒になる。
醤油が普通の家庭で使われ出したのが文化・文政期である。江戸の地回りで大量生産される。主な産地は野田、銚子である。清酒も調味料で大切だが、関東では酒は最後まで関西に太刀打ちできなかった

木綿は戦国時代に軍事用(兵衣、火縄)として用途が広がり、江戸時代に入って庶民衣料として爆発的な広がりを見せる。産地は畿内、東海、西国地方。木綿は染色も容易だった。

絹は貴重品。江戸初期は最大の輸入品。正徳3年に生糸真綿生産の奨励策を幕府が出す。それで急速に広まる。木綿生産に適さない寒冷地で養蚕業がおこる。そして生糸業。信濃、上野、陸奥の信夫・伊達地方が産地となる。

「第7章 浮世の楽しみ」では、歌舞伎の人気役者は当時、本当に年俸一〇〇〇両のが何人もいたことを知る。
鶴屋南北は当時、夏芝居と言って、良い役者がいない時期の歌舞伎でヒットを飛ばして立作者の名を不動のものにする。うらぶれた陰気な裏長屋や街角を舞台にして、女性が活躍する物語を書く。
幕末維新の時になると、生世話物の世界では悪が容認され、賛美されて小悪党が英雄視されるようになる。河竹黙阿弥の白浪物である。
村芝居も隆盛になったことも記されている。

「第8章 旅への誘い」では江戸時代に旅が盛んになり、旅の案内書は当初は名所記だったのが、商用の旅や遊学の旅の案内書も生まれたことがわかる。「江戸雀」、「京雀」、「難波雀」がそのような本である。
漂泊の旅にあこがれたり、図版中心の旅の本も生まれる。特産品の紹介の本も生まれる。

「エピローグ 『ごんぎつね』と環境歴史学」では、作者の生まれた知多半島の話からはじめる。知多半島は水利が悪く、ため池を作っていた。この地域では焼き物産業が盛んだったので、山の木は伐採されて松が多くなる。松だと保水力がなく、水害が多くなる。それに気がつき、雑木林に戻し、そこでの木の伐採を禁止するようになる。すると動物が棲み、それが「ごんきつね」の物語につながったとある。


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