「「戦後」を点検する」保阪正康+半藤一利 著

戦後史も、戦後70年になって厚みを増している。そこで、この本を読む。半藤氏は自身の著書の中で戦後を次のように区分したようだ。区分と、その時代の特徴、代表する政治家を書いている。
①昭和20年~26年(占領の時代)吉田茂、②昭和27年~35年(政治闘争の時代)岸信介、③昭和36年~40年(経済高度成長前期)池田勇人、④昭和41年~47年(経済高度成長期後期)佐藤栄作、⑤昭和48年~57年(価値観見直しの時代)大平正芳、⑥昭和58年~現在(国際化の時代)中曽根康弘である。

保阪氏が平成以降を別にして小泉純一郎はどうかとしている。

なお、日本の近代を大きくとらえて、近代日本40年周期説もあるとのことで、それは①慶応元年~明治38年に日露戦争に勝った時まで、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の時代。次が②昭和20年の敗戦までで大日本帝国が滅んだ時まで。そして、次ぎは③昭和27年の独立回復から40年、すなわち1992年のバブル崩壊までとしている。これもわかりやすい。では今現在で2032年まではどういう時期なのであろうか。

印象的な人物、エピソードを抜き書きする。
石橋湛山は大正4年に対華二十一カ条要求を批判し、大正10年にはワシントン海軍軍縮条約に際して「満州を棄てる、山東を棄てる、…又例えば朝鮮に、台湾に自由を許す」と書いている。これがいわゆる小日本主義であり、石原莞爾も戦争に負けたら小日本主義になっているようだ。石橋の論説は凄みのあるものだ。

田中角栄、中曽根康弘はともに大正7年生まれだが、中曽根は海軍士官、田中は病気除隊であり、田中は「あの戦争には関係していない」との意識があった首相という。だから日中関係の改善も抵抗なくできた。
松本清張も同様に「自分は、あの馬鹿な戦争には関係していない」とのスタンス。それが彼の昭和史を生む。
田中は満州帰りでもあり、戦争帰りのダイエーの中内氏とも通じる本音で生きる強さがある。

戦後すぐに、日本でも日本独自に戦争責任を明確にという動きがあり、大東亜戦争調査会ができた。しかし、役割は天皇には戦争責任を負わせないところにあった。その為に連合国の天皇免訴の方針が明らかになると、熱も冷めるが、そのメンバーの一人の青木得三は自身で本にまとめている。

また戦犯自主裁判構想もあったが、連合国の裁判が急であり、これも消える。

インドネシア、ベトナムには戦後にアジア解放を目指した日本人もいた。戦争中にも今村均大将などはインドネシアで、そのような理想を実現しようとするが、その後に進駐した日本人はインドネシア人を弾圧する。

戦後は、戦時中に投獄され、獄中18年という共産党の徳田球一、志賀義雄が世に出て発言に重みをもった。そして、朝鮮戦争が勃発すると、軍人が復権する。

三笠宮はオリエント学者でもあるが、戦後の紀元節復活に反対。

第一次安保反対は、岸への反対でもあった。岸は満州国の総務庁次長で戦犯の一人で、天皇も前の内閣の時に大丈夫かと聞いたと伝わる。
戦後日本人が問わなかった戦争責任を、安保反対時に岸というわかりやすい存在に集中して退陣を求めたと保阪が語っているがなるほどと思う。

なお、この安保のデモの時に、後藤田正晴は自治省の課長だったが、「この連中に職を与えないと、革命になる」と思ったそうだ。池田勇人の秘書官だった伊藤昌哉は「このエネルギーをなんとかして経済に向けられないか」と思ったそうだ。この思惑の通りに、次の池田内閣の時に、経済に力を注ぎ、高度経済成長を実現している。


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