「赤瀬川原平が読み解く全作品 フェルメールの眼」 赤瀬川原平 著

フェルメールの全作品、と言っても現存するのは36作品だが、それを取り上げながら、赤瀬川原平が評している。彼はカメラも趣味であり、カメラの眼を、フェルメールの作品を観る時に常に意識しているようだ。冒頭にも書いているが、カメラができる以前の絵における「本物そっくり」という写実性重視は大事なことであった。フェルメールはもちろんカメラのような写実力を持っているのだが、赤瀬川原平はフェルメールの人間の眼も意識している。「暖かさ」と「冷静さ」、「穏やかさ」と「研ぎ澄まされた感覚」に触れている。

カメラの焦点のように、ピントがあったところは明確に、筆は滑らかに描いているが、そうでない部分は粗い筆も見受けられると言う。要は、このようなカメラ効果まで取り入れていることに気がついている。

フェルメールの描く人物は、生活の一場面を切り取ったもので、ポーズを取らずに、それも生の瞬間を切り取った感じで、これまた写真的と言う。写真館での写真ではなく、スナップ写真ということであろうか。
「牛乳を注ぐ女」などは写真館では絶対の撮れない写真=絵だ。

光が、眼とか唇やイアリングに出ているのが有名な「真珠の耳飾りの少女(ターバンの娘)」だが、「赤い帽子の娘」も同様だ。眼、唇、衣服の皺などである。このような光の描き方はフェルメールの魅力の一つだと改めて感じる。

「恋文」において、情報を握った召使いが女主人より上位に立っているなどのドラマまで読み取れるのも面白い。

私はフェルメールの作品では何枚かある手紙を読む女性よりも、「手紙を書く婦人」が好きだ。読むという受け身ではなく、書くという能動的な姿だ。生き生きした表情で、楽しい手紙を書いているに違いない。

「牛乳を注ぐ女」における牛乳という液体の流れるさまは印象的である。今も流れている感じだ。赤瀬川は「とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける」と評している。

宗教画は、フェルメールらしくない感じである。初期作なのであろうか。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック