「「忠臣蔵」の決算書」 山本博文 著

この本は、大石内蔵助が遺した「預置候金銀請払帳」(あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう)ー原本は箱根神社所有ーを史料として、資金面から忠臣蔵の実態を分析していて興味深い。山本博文教授の本は読みやすいし、視点も新鮮だ。

結論は討ち入りまでに697両を使い、その使途は、内匠頭の仏事費用18.4%、御家再興工作費9.4%、江戸屋敷購入費10.1%(これは役に立たなかった)、旅費・江戸逗留費35.6%、会議・通信費1.6%、生活補助費19.0%、討ち入り装備費1.7%、その他4.2%という割合である。仏事費用のウェイトは江戸時代だと思う。

ちなみに、この資金697両の半分は瑶泉院の化粧料(持参金)で、残り半分は藩財政を精算(藩札分の処理、藩士への退職金的な一時金など)した残りである。藩財政精算の様子も記されていて、これはこれで興味深い。

討ち入りに向けて、江戸の堀部安兵衛を中心とする過激派の暴発を押さえることにも留意を払っている。雌伏の時が長いほど、資金面では苦しくなってくるわけだ。途中の脱退者も出てくる可能性も、もっと高くなるし、やはり700両の金を適切に管理し、足かけ2年の長期にわたって統率した大石内蔵助の力量は改めて評価すべきとしている。

この史料は大石が赤穂での残務処理を終えて赤穂を引き払った元禄14年6月から、討ち入り準備を終えた元禄15年11月に締められて、瑶泉院様のお付きの落合与左衛門に他の書類とともに送られたと推測される。瑶泉院は実家の三次浅野家に引き取られている。

元禄14年3月に刃傷事件、同年4月に赤穂城退散時は、120名が内蔵助と一緒に行動することを誓う。当初は弟浅野大学(旗本も閉門処分)による御家再興を願うが、元禄15年7月に大学は芸州広島藩御預けとなり、望みは消える。そこで討ち入りの決意をして江戸に集結するが50数名となっている。

赤穂藩では上級藩士(おおむね五百石以上ー家老、番頭を勤める)が11人、中級藩士(百石以上ー物頭、馬廻り)が140名、下級藩士(米の現物や金で支給)が123名で他に隠居、部屋住みなどで300名ほどの藩士がいた。
討ち入った47人の内、中級藩士以上は27名。

この史料では金1両=銀五十六匁、金1両12万円、金1分3万円、銀1匁2000円として換算している。銭は銭1貫=銀15匁で銭1文30円となる。
赤穂藩5万石は、知行切米は約16500石、藩士が家来を養う扶持は1180石で合計17800石。これが四公六民の年貢率として石高に換算すると44592石。5万石との差が藩の蔵入地収入となる。赤穂藩は実収入はもう少し多く、加えて塩田からの運上金などもあった。現代の価に換算すると約20数億円の財政規模だそうだ。


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