「刀剣史料」合本1~12 昭和34年

これは雑誌を合本した本で、川口陟(のぼる)氏が編集・発行していた雑誌である。雑誌の1号から12号までを合本にしたもので、私はこの他26号~36号の本、49号~61号の合本を持っている。川口氏は『日本刀剣全史』『刀工総覧』『鐔大鑑』などを上梓されている昔の権威である。

雑誌だから様々な著者によって色々なことが書かれているが、編者である川口氏以外のは軽い読み物が多い。また、当時の刀剣界の人物、様子もわかり、興味深い。
この前、根津美術館の展覧会に行ったばかりだから、根津美術館に関することを紹介する。3号の「『鏨の花』と光村利藻氏」に記されていたことだが、光村氏の家産が傾いた時に、収蔵品全部を骨董商を通して根津嘉一郎氏に勧める。光村家で25万円というのを根津家では15万円という。骨董商が根津氏を説得して18万円で商談がまとまる。大正12年の震災で根津家がその一部を売りに出す。第一回が約50点で27万円、第二回が約60点で40万円、第三回が約70点で50万円、合計117万円である。別に根津美術館の陳列品として100点ほどが残っている。金持ちはいやいやながら金が儲かるものだと、今も語りぐさとのことだ。

後は、「土屋安親の研究と批判」について川口氏が記された内容を紹介する。2巻から4巻に渡って連載されたもので、昭和33年から34年にかけてである。私は川口氏の意見に全面的に賛成ではないが、一人の識者の言として参考になる。

川口氏は、安親には傑作もあれば駄作もあるとする。
象の鐔は、象のデッサン、彫りは素晴らしいが、裏の林大学頭信充の漢詩の彫りはいただけないと言う。
俗に言う守山藩の松平頼貞の好みという大学型鐔の形も、お供え餅ではないか。そして、如何なる拵にも合わない失敗作と断じている。ただ新機軸を考えたことは評価している。
同様に、縁頭の大学型(烏帽子、冠、屋根型)も同じように評価している。

庄内の金工珍久の門に入り、江戸に34歳で出府し、奈良辰政に入門する。辰政の作品も観ないから下職ではなかったかと推測している。下職故に当時の名工の技術を勉強できたのではとも推測している。
安親は、金工界の本流ではないところから出た田舎人だから素材、形も自由に作った。図柄も、象のように斬新なものを取り入れているし、中には歯ブラシの図もあり、驚いた。
しかし、田舎出身で、代々の鏨の秘法も知らないから、どうしても龍を彫る技術などは劣るから雨竜を彫ったのではとも書く。

ただ安親の醸し出す詩情は誰にもマネできないと高く評価している。

波千鳥の鐔は傑作である。21羽の千鳥が楽しそうに飛び交っている。
豊干禅師の顔は静寂境に引き入れる魅力があると絶賛する。

一方、木賊刈りの図の鐔は、非常に数が多い。他の作品では同図で、これだけの数を作ってはいない。
だから木賊刈りの鐔は、安親の後代の作品や下職が競技的に同一主題で作ったものが交じっているからではないかと具体的に論じている。銘も疑問のあるものがあるし、図も老爺の顔が笑っているのとか、体が肥満しているのもあり、おかしい。また写し物は、周りに笹の葉や雑物が増えてくる。

安親は、千鳥七々子、千鳥石目も使う。装飾ではあるが、欠点を隠すためのごまかしか、七々子代が高い為の節約ではと推測している。
目貫の裏も打ち出さずに、表だけを彫っているのは手間を省くためではないかとしている。

自分の銘を大きく彫ったのも、いかがなものか。謙虚さが足りないと断じている。
安親の虎図の鐔と同図を昆寛が写しているが、昆寛の方が素晴らしい。安親のは初代でなく二代のものだから、昆寛のに負けていると断じている。

野猪の鐔は、耳がつまらない。笹の葉も繊細でない。野猪の躰と前足が不合理で、太り過ぎで牙が長過ぎると酷評する。

安親は、生活に追われていて、傑作だけ遺し、凡作をたたき潰すような芸術的良心がなかったのではとも書いている。

結論は、安親は、詩情があるかどうかをまず判断。そこから銘の研究に入ると述べている。





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