「死顔」 吉村昭 著

小説家吉村昭の遺作集でもある。私は吉村昭のファンでもある。この本には「ひとすじの煙」、「二人」、「山茶花」、「クレイスロック号遭難」、「死顔」の5篇を収録してあり、最後に妻でもある小説家津村節子の「遺作について」を掲載している。

「ひとすじの煙」は、著者が結核の手術後に療養していた山里の温泉が、テレビの秘湯めぐりのような番組で取り上げられ、著者の昔の思い出が蘇るという導入ではじまる。その湯治生活、そして、そこで働く子供を連れた夫婦、夫は意志が弱く、生活力の無いような男、妻は姑との折り合いが悪い。そこで夫とともに実家を離れて、この温泉場で一生懸命に働いている。そうしている内に、妻は前途に悲観して子供を連れて自殺するのだが、その前後の情景、例えば大事にしていた子供への扱いの変化などを吉村昭は目撃したのだと思うが、それを何とも言えない筆力で描いていく。記憶に残る短編になっている。

「二人」は吉村昭の兄弟である次兄の病気、それも末期の状況を描いている。家族の看護状況や、そこに次兄の過去の女性問題に自分がかかわった時の情景や、自分達の父の死の前後の情景などが重なる。どこまで事実かわからないが、印象的な作品である。
これと「死顔」は、女性問題の項を除いて、同じような内容の短編である。

「山茶花」は犯罪者の更生を見守る保護司を主人公にして、その対象となった74歳の女性の様子を書いている。この女性は、夫の看護に疲れ、また夫自身も「楽にしてくれ」との要望を口にしていた為に、夫の首を絞めてしまった人物だ。きちんと更正の道を歩んでいる女性なのだが、保護司から見た現在の女性の態度、服装に何か違和感を感じさせながら終える小説である。読者の心に残るものがある。

「クレイスロック号遭難」は、あとがきによると、もう少し追加し、校正も加えて発表しようと思っていた作品のようだ。明治の半ばに、ロシアの運送船クレイスロック号が樺太の沖で遭難する。折しも、当時の日本は諸外国との不平等条約の改正の為に努力している最中だった。外務省は救助に全力を尽くすように所轄の部署に依頼する。そしてロシア人らしい者が北海道の海岸に打ち上げられているのを発見する。衣服等の状態を調べ、仮埋葬などをする。こうした日本の態度を、ロシアは評価し、それが諸外国との条約改正につながったことを書いている。埋もれた明治史である。

「死顔」は「二人」と同じような内容だが、次兄も含め、父などの家族の死を見詰めて、吉村昭自身の死生観というと、少し大袈裟になるが、死への考え方を記したようだ。中に幕末の蘭方医佐藤泰然が、自らの死期が近いことを知って、高額な医薬品の服用を拒み、食物を断って死を迎えた話が挿入されている。いたずらに命ながらえて周囲の者、しいては社会に負担をかけぬようにと配慮した逸話であり、吉村昭自身の死に様につながるようなことである。

津村節子による「遺作について-後書きに代えて」によると、吉村昭は手術前に遺書を書き、延命治療は望まないこと、葬儀は家族葬、香典はいただかぬことなど、人様に迷惑をかけないよう、家族の負担にならないように書いてあったようだ。以下、末期の彼の様子ー死ぬまで推敲していた様子などが書かれている。
ご冥福をお祈りしたい。


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