「戦国「常識・非常識」大論争」 鈴木眞哉 著

在野の歴史家の鈴木氏が、戦国時代の常識となっていることでも、大いに疑問があることを取り上げ、その常識が間違っていると書いている。取り上げているのは「武功夜話の偽書」、「司馬遼太郎の小説等」、「武田騎馬隊」、「信長の鉄船」、「信長の鉄砲」、「本能寺の変の黒幕」、「信長・秀吉の兵農分離」である。

「武功夜話」は、後世の人間が、先人の名前を使ってお話を作り上げた偽書である。歴史学者の小和田哲男氏、藤田達生氏などは、まだこの内容に肯定的だと批判している。

「司馬遼太郎の小説」は、私などは小説だからと思うのだが、これを史実と信じる人が多いから、著者は取り上げている。確かに司馬遼太郎は史料に基づいているような書き方を小説の中に挿入しており、だまされやすい。ここでは具体的に「尻啖え孫市」における雑賀孫市は多くの点で史実と離れていることを指摘している。司馬遼太郎の小説は軍談として位置づけるべきとのことだ。軍談が国民の精神を鼓舞したりする効果も私はあると思う。私は司馬文学のファンだ。

「武田騎馬隊」なんていうものは無かったということだ。これは、この通りだと思う。騎馬武者は禄高の高い侍で、従者を何人も従えて出陣する。その騎馬武者だけで部隊を作るようなことはしないし、できないと思う。

「信長の鉄船」とは本願寺攻めに使ったという安宅船だ。実際に鉄などを張れば、運動性能は悪くなるし、このことは信頼できる史料には無いそうだ。船を操った九鬼家の史料にも無いとのことだ。

「本能寺の黒幕」については百家争鳴だが、陰謀などはよほど秘密管理を徹底しないと無理であり、通信環境もあのような時代には、ありえないと述べている。私は黒幕はともかくとして、四国攻めに関して、光秀との思惑の違いなどから謀反を起こしたという説は首肯している。また秀吉が事前に明智光秀に何らかの動きがあることを知っていたのではないかと思う。よほど信頼できる情報を得ないと、あの場で毛利家と和睦して中国大返しなどは無理だと思うのだが。

「信長の鉄砲」は長篠の戦いの検証から、3000人を3段に分けての鉄砲活用は無かったとし、同時に武田方も騎馬隊などはなかったとされている。織田軍が他軍より多くの鉄砲を持っていた可能性はあるが、紀州の雑賀なども同様であり、信長だけの特性とするのは間違いとしている。

「信長・秀吉の兵農分離」も、必ずしも織田・豊臣が先進的であったのではないと書いている。だから小田原攻めも、この効果ではなく、秀吉得意の調略で内部を崩した為ではないかと書いている。この点に関しては、著者の意見に全面的に賛成はしないが、著者の言わんとすることも理解できる。

著者は新説を出しているのではなく、従来の常識を疑っているだけであり、面白い本ではないが、頭に入れておく必要がある点だと思う。





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