「一冊でつかむ日本中世史」 武光誠 著

この本は新書だが、意欲的な本で、日本の中世史を概観している。だから内容は豊富で、全てを伝えられないが、<人口の推移>も、改めて教えてもらうと、感慨を持つ。縄文時代:10数万~20数万、弥生時代:約60万人、奈良時代:約450万人、平安時代:約550万人、鎌倉~室町時代:約700万人、安土桃山時代:約1800万人、江戸時代:約3000万人、明治時代初年:約3300万人、大正時代:約5000万人、昭和四十二年:約一億人、現代約一億3000万人である。

大きく人口が伸びた縄文から弥生は稲作などの開始であろう。奈良時代に稲作技術が大きく伸びたことがわかる。8世紀の住居から鉄器が出るのが約19%、9世紀の住居では約39%となるようだ。11世紀前半前後に日本国内の農地の面積が急速に拡大。大開墾の時代だ。ここで地主であると同時に武士が生まれる。自分が開墾した土地を武装もして一所を懸命で守ったわけだ。

あとは室町から安土桃山時代だ。室町時代は農業、商工業の急速な発展がみられ、水車の灌漑施設や三毛作も行われ、肥料も工夫された。そして、米のほかに桑、楮、漆、藍の栽培も行われて、現金収入をもたらす。農民と協調して産業を育成した国人は勢力を拡大。周辺の国人を支配して家臣化して小大名と呼ぶ地位にのしあがったモノもいた。農民は神社の祭祀を中心に自治組織を持つ村をつくり、惣村とよぶ。惣村に対抗するために国人は武力を強化。
これら国人を糾合した戦国大名も、この動きを助けて国を富ますことに尽力したこともわかる。信玄堤のような治水事業、合戦のための武器など物資を必要とするから商工も重視。それを全国規模にしたのが江戸時代。元禄期までは、戦国大名が努力した農業技術を全国レベルで普及させたから大きく伸びたのだ。

信長は足軽の集団に鉄砲、長槍を使わせる。給付金で足軽を召し抱える。足軽を訓練。給付金を与えたから戦闘に専念でき、また活躍すれば恩賞が出る。そうすると戦闘のプロに育ち、集団での訓練が可能、また足軽数も増加という好循環だ。従来は恩賞の保証はなく動員される。だから足軽としては略奪目当てとなる。戦闘目的が略奪になれば十分な戦果は期待できない。
そして指揮官も有能な者をどんどん抜擢した。そして堺を支配し、鉄砲を確保した。
これが織田軍団の強さの理由である。

武士は自ら農地を経営する独立した小領主。農地を守るために武装したのが武士。しかし、中世の小領主である武士は、争いを繰り返していたのではない。無意味な戦いを避けて領内を安定させて自領の発展に尽くしてきた。武士は自分が治める農村に強い愛着を持ち、そこに住む農民たちとの絆を最も重んじる。戦闘の専門家ではなく、自ら農業経営を行う小領主。一方、西洋中世の騎士は、専門の戦闘集団。かれらは自らを特権身分と位置づけて、自分の支配下の農民を差別した。

武士は質素な生活を送り、配下の農民を守るために武芸を鍛錬。命をかけて農民を守る。農民たちの指導者でもある。新田を開発したり、農業技術の向上につとめる。だから、戦いを避けて周囲の武士と協調していく生き方を重んじる。
鎌倉幕府の御家人が武士として名字を名乗り、上層農民と区別した。この時、幕府に仕えずに在庁官人として国司に従った非御家人の武士も名字を自称するようになる。
ただし、中世は武士と農民の間の身分差が明確ではない。独立した領地を経営する者を武士と定義。その下に地主層と呼ぶべき階層の有力農民が日常的にみられた。そこから武士になる者もいた。
中世は武士らしい武士の時代。鎌倉幕府から室町幕府の武家政権は、自立した武士のまとめ役。豊臣政権の過渡期を経て、江戸時代の武士は幕府や大名に仕える勤め人。(サラリーマン)





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック