京都 宇治の萬福寺、三室戸寺

このようなことは、いつも突然だが、京都の親戚の家で不幸があり、金曜日がお通夜、土曜日が告別式となる。土曜日は高校の同期会の打ち合わせで予定があり、金曜日に日帰りで出向く。お通夜は夕方からであり、午後は宇治の黄檗宗大本山の萬福寺に出向く。普茶料理という精進料理が名物であり、萬福寺前の格式が高そうな店に出向くが、迎えにも誰も出て来ない。何となく嫌になり、今回はパスした。予約専門の店なのであろうか。

萬福寺は中国から隠元禅師を招いて建立された寺で、江戸時代の創建と歴史は浅い(京都だから浅いと言うが、世間では古刹である)。当初の住職は代々中国人の僧が続いている。ちなみに、ある建物の欄干にかけて隠元豆が栽培してあった。もっとも今は、豆はなく、元気のない蔓だけであった。

禅寺だからか建物や建物の配置などは南禅寺のような雰囲気がある。建物間を結ぶ回廊も整えられている。永平寺の回廊よりは開放的だが、同じ禅寺だけに何か似ている。庭も松と砂利で整えており、すっきりしている。松と砂利は大徳寺もそんな感じだった。禅寺の特色なのだろう。もっとも、萬福寺の建造物は中国の明様式の伽藍配置で、創建当初からの様式は日本では例を見ないと案内には記してある。確かに、建物の配置が整っているという印象を持つ。この完璧性も時代が江戸時代創建と、新しいためであろう。

建物の細かい造作(窓の桟とか、文様、用材=チーク材)に中国らしさがある。桃の実を彫ったり、どこかの中華料理店でも見かける文様を見る。また鎮座している仏像も、少し派手な異国的なのが多い。だけどケバケバしい感じはなく、禅寺らしい清潔感に溢れている。

内側の庭には、池に蓮とか各種の庭木を植えたりしているが、そこにも枯山水の石庭があり、それがメインのようだ。
修行の寺であり、食事の時間を知らせる板(巡照板)も目につく。その板に「謹んで大衆にもうす 生死は事大にして 無常は迅速なり 各々よろしく醒覚すべし 慎んで放逸することなかれ」とある。なかなかに厳しい言葉である。

そこからタクシーで三室戸寺に向かう。山際に建つ西国観音霊場十番の寺で、本山修験宗の別格本山とのことだ。ここは建物の規模は京都の寺にしては大きくはない。建物はそんなに古くはない。

花の寺で、ツツジ・シャクナゲの季節、そして紫陽花の季節、それからハスの季節が有名である。ちょうどハスも終わったところで、ユリと、咲き始めの萩があるだけだった。幹周り50センチほどの桜樹の根元にヤマユリが1本が植わり、咲いている。何とも言えない風情である。紅葉も植わっており、この季節も見事だと思う。最近整備された庭と記憶しているが、枯山水の庭や、ハスの池など趣向をこらした庭もあり、なかなかである。

ハスは、鉢に入れてあるものが、本堂の前にたくさんあり、季節にはさぞや見事だと思う。この本堂内には、昔、母が在世中に時々述べていた「仏とは常にいまさぬものなれど 人の音せぬ暁の ほのかの夢に 見え給う」と言う言葉が張られていた。母の言葉より、少し他の言葉が加わっていたが、どこが語源の言葉であろうか。(後日、知人から梁塵秘抄にある言葉と教わる。原文は上記と違う。本堂には原文の方が掲示)
上記の花の季節にはさぞや見事な景色だと思う。

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